2010年6月アーカイブ

サッカーのワールドカップで盛り上がっています。
いえいえ、私がじゃなくて、世の中が・・・です。
それにしても、日本におけるサッカー熱は急上昇ですね。
私が若い頃はサッカーなんて耳にすることもありませんでした。
ラグビーやアメリカンフットボールも含めて、「蹴球」と言っていたように思います。

サッカーに無関心な私ですから、異常なサッカー騒動で、毎日、辟易してしまいます。
ワールドカップが始まる前は日本チームの監督が、いかに無能かとか、この日本チームでは勝てないといった内容のことを、スポーツ新聞などのマスコミが書いたり放送したりしていましたが、予選で一勝したとたんに、手のひらを返したように、論調ががらっと変わったのには、門外漢の私なども驚きでした。
マスコミの奏でるサッカー音頭に踊らされている諸君を見ていると、なんとも情けない気分になります。

私のような年代の人間は、するにも、見るにも野球でした。
でも、最近では歳の所為で体が思うように動かなくなり、運動も思い通りにはいきません。
そんな訳で、スポーツ全体に興味が薄らいでしまっています。
オリンピックも見なかったし、今度のサッカーも見ていません。
テレビでの野球中継も少なくなっているようですが、野球もほとんど見なくなりました。
歳ですから、闘争心そのものが無くなっているのでしょうね。

サッカーの日本チームは昨夜、負けたようです。
このところ連日そうでしたが、テレビはサッカー一色です。
どこのチャンネルを見ても、サッカー・サッカーです。
毎朝、食事をしなから見るともなく見ていたテレビのスイッチを、とうとう今朝は切ってしまいました。
日本チームが負けたことで、少しはまともな状態に戻るのではないかと、申し訳ないのですがほっとしています。

ここまで書いて、「えらいこと、書いてしもうたな・・・」と反省しています。
全てを消去して、また一から書き直す・・・それも大変。
さてさて、この先、そのように話を展開すれば良いものやら。

「サッカー音頭」が大音響で鳴り響いています。
大音響に身を委ね、陶酔するかのように浮かれて踊る集団のなかに身を投じる。
それも良いかも知れませんが、一人で好きな曲に耳を傾ける、それも忘れてはならないことです。
大きな音ばかり聞いていたのでは、ささやかな音が聞こえなくなってしまいますよ。

「私を撮りなさい」「私を撮って」と大声で呼びかける被写体ばかりを相手にするのではなく、私たち一人一人の小さな受信機で微かに聞き取れるようなささやきにも気づくことも大切です。
私にしか聞こえない・・・そんな些細なことにレンズを向けるのも、これはこれで楽しいことですし、私らしさが出せる作業ではないでしょうか。

歳とともに、前へ前へと進む闘争心をなくし、スポーツにも興味を無くしつつある私にとって何気ない日常のなかに潜むものと対話することは、似合いの行為なのかも知れません。

今日は雨上がりの日の、赤い花と白い花の写真を用意しました。

JC0616.002 福岡市東区 M9su28_5.6#

雨上がりの道を歩いていました。
雨に濡れた道は黒ずんでいます。
その黒い道の上に赤いバラの花びらが落ちていました。
歩きながら目の隅で赤い花びらを見ながら一旦、通り過ぎたのですが、やはり気になって引き返し写真に撮りました。

次の日もこの花びらの横を通りましたが、その日は写真の撮ろうと云う気さえおきませんでした。おそらく、乾いて白くなった道路の上では赤い花びらの魅力は半減してしまったのでしょう。
その次の日もこの道を通りました。
花びらは風に吹き飛ばされて、通りのあちらこちらに散らばってしまっていました。

全ての条件がそろったある一瞬、それが、この赤い花びらの写真ということになります。
おそらく、多くの人はこの花びらがこんなに魅力的だと気づいていないと思います。
大した写真ではないかも知れませんが、私はお気に入りです。

JC0627.024 福岡市東区 M9b35_2zm#

白い花は、実は我が家の駐車場に落ちたアベリアの花です。
この生け垣をながく見てきましたが、このような写真になったのは初めてです。
やはり、全ての条件が揃ったのが、この日、この時と云えます。
こう考えると、梅雨時も乙なものではありませんか。

赤い花も白い花も私にしか見えなかった些細なことかも知れませんが、そんなものでも写真に撮って良いんじゃないですか。
そこに、私(あなた)が求めるものが潜んでいることに気づいたのなら。

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みかん猫67

新入生が友人を作り、教師ともコミュニケーションがとれ、大学生活に一日でも早く馴染めるようにと云うことを目的に毎年、新学期が始まって早い時期にバスハイクを実施しています。
目的地は長崎のハウステンボスです。

このバスハイクと同じような目的で、一年生の前期期間(4月〜7月)に「基礎ゼミナール」と云う授業も実施しています。
こちらは、6名の教師が新入生を六等分した数をそれぞれ受け持ち、毎週一回、90分の授業をやっております。

その「基礎ゼミナール」を私も担当しており、私のクラスは10名の学生を預かっています。
先日、その授業時間を利用して、バスハイクで出かけた長崎ハウステンボスで撮った写真を使って、学生たちの作品をWEB上で公開するためのページを作りました。

新入生ですから、学生たちが持っている、写真に対する知識や技術のレベルはまちまちです。
フィルムカメラで撮影して、そのネガをスキャナーにかけてデジタルデータ化するところまで、自分で仕上げてきた学生も居れば、Photoshopでの作業もおぼつかない学生も居ます。
そんな学生たちに、web上で作品を公開するための画像調整を教え、出来上がった写真を私の方にメールで送ってもらい、その写真を私の方で学生個々のページを作って掲載するのです。

こうすることで、学生たちがいろんな人の写真を楽しむことができます。
もちろん自分の写真の特徴も掴めるかもしれません。
ハウステンボスという、同じ空間で、それぞれが撮った写真を並べてみると、「こんなものがあったのだ」とか「この撮り方は面白いな」とか学生諸君にも刺激になると考えます。

ここ数年の傾向ですが男子学生に覇気が無くて、撮影枚数も女子学生に比べ圧倒的に少ない傾向が続いていました。
男子学生たちの頭と心が硬直化してしまっているのでしょうか・・・と思い続けてきたのですが、今年はちょっと元気な男子学生の姿が目立ちました。

ただ、多くの男子学生はこれまでと同じで、消極的で、みんな同じようなものを同じように撮影しています。
「人とは違ったものを見つけよう」「自分だけのものを探そう」としている人が少ない。
〔風車〕〔白鳥〕〔水上ボート〕〔花〕〔代表的な建物〕などなど素直で良いのかも知れないけれど、「へ~、良いもの見つけたな」と感心させられるものが少ない。
〔撮る〕より〔仕方なく撮っている〕といった印象が強く残ります。

まあ、高校生の殻をお尻に引っ付けた状態のこの時期の若者男子によくある傾向ですが、「人の言うことを真面目に聞いて、はいはいと動くなんてダサイ」と云った、ある種の照れみたいなものもあるのかも知れません。

自らが積極的に関わると云う能動的な姿勢が見られず、受動的な姿勢がしみ込んでいるように見えます。
これは、テレビの番組を見るにしても、ただ鵜呑みにしてぼんやりと見続けてきた結果の表れではないでしょうか。

もっともっと自分の想いとか、心の中にある感情や記憶といったものと、目の前のあるものとの重なりとか反響とか共鳴とかそういった己の心の動きに反応した写真を撮れるようになってもらいたいものです。

男子学生に比べ、女子学生は全体的に良いですね。
やわらかな心で、撮ることを素直に楽しんでくれています。
ただ、一年生の今の段階ではパソコンを操作したり、画像処理ソフトを使うことに戸惑っているところがあって、撮影後のところで悪戦苦闘している様子が見えました。

なんといっても写真を楽しむ心を持っていることが一番大事です。
写真は体を動かし被写体に気づき、シャッターを幼いことには何にも始まりません。
デジタルカメラの良さは「軽味(かろみ)」にあります。
難しいことや、理屈を考えないで、とりあえず撮っておく。
それが簡単に出来るのがデジタルカメラの良さでしょう。
その特徴をうまく使っているのが女子学生だといえます。
男はとかく杓子定規にものごとを考え過ぎで、作り出すものは定型化したものが多いように想います。

まだ一年生ですから、これからですね。
学生一人一人にもの作りの楽しさを分からせ、自己の特徴に気づかせる・・・それが私達教師の腕の見せ所でしょね。
今回、見た学生の仲にも良い種を宿した人たちが三名ほどいました。
一人でも、二人でも、そんな学生が順調に育つよう刺激し続けます。


CB0426.017 長崎ハウステンボス M8.2sx35a#

私の写真もハウステンボスです。
ハウステンボスは大村湾に面していて、風が強く吹きます。
そんな風に煽られて、ハプニングが起きました。
なんと、このおじさんの「かつら」が風に吹き飛ばされてしまったのです。
飲食店の従業員の男性も笑いをこらえるのに必死の様子。
当人のおじさんも、笑うしかなかったようです。


JC0424.058 長崎ハウステンボス M9sn35a

修学旅行に来ていた中学生です。
男子学生が回転木馬に乗った女子学生の写真を撮っていました。
最初は座って撮っていましたが、そのうちに熱が入ったのか、立ち上がって撮るようになりました。
そうですよ、男子学生諸君。
この気持ちですよ。
撮りたいものを一心不乱に撮る。
キザに格好つけていても、何も残りませんよ。
写真にとって「後の祭り」は後悔だけしか残りません。

今、撮らなきゃ・・・

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みかん猫67

スーパーの10%割引券を貰いました。
「10%引き」と書かれたシールが三枚。
買った商品に、自分でその10%引きのシールを貼ってレジに持って行くと10%値引きしてくれるとのこと。

キリンレモン、86円にこの「切り札」を貼るのも馬鹿らしいので、なにか値の張るもので必要なものはないかと探しまわってみましたが、なかなか見つかりません。
10%割引券の有効期限は本日までなので、貧乏人の意地汚さが出て、なんとしても高額商品にシールを貼ろうと画策する次第です。

このあたりが、商売人の思う壷に填められているのでしょうね。
スーパーの中を何周か回ったとろころで、ある商品が目にとまりました。
「梅酒」です。
なんとなく体に良さそうなので、以前から梅酒が気になっていました。

一升瓶で、それなりの値段がします。
四合瓶でも良かったのですが、なんといっても10%引きになるのですから、ここは値引き効果を最大限に引き出そうと、奮発して一升瓶をレジに持って行きました。

ガーン。
レジのおばさんが驚愕の一言。
「梅酒はお酒ですから、値引きの対象外です」
そんな話は聞いてない・・・と因縁をつけたいところですが、そこは老眼の悲しさ。
かならず、「値引き対象外の商品もあります」とか「酒類は対象外です」とか、そのような注意書きが小さな文字で書かれているはずです。
そんな小さな字は老眼があっても読めません。
レジでごねたところで、恥の上塗りになるのは目に見えているので、そこはおとなしく引き下がりました。

その10%割引シールを一升瓶から剥がしたレジのおばさんは・・・「なるべく高いものに貼りましょうね」とかなんとか言いながら、86円のキリンレモンのペットボトルに貼りなおしてくれました。
「おばちゃん、おおきに、ありがとさん」
こんなことなら、下の写真のおじさんのように焼き肉用の肉か、高級ステーキ肉でも買っておけばよかったですね。

JC0505.001 福岡市中央区天神 GXR33m#

JC0616.006 福岡市東区 M9su28_5.6#

通勤の途中でよく通る道沿いに梅の木が十数本植えられたところがあります。
梅の花が咲く頃にはほのかな花の香りを楽しむことができるのですが、この日は、色づいた梅の実が沢山落ちていたので写真に撮っておきました。

撮影用のレンズは、先日、「梅雨が似合うレンズ」と紹介した、Summaron 28mm F5.6です。

それにしても、梅酒は甘かった〜。
値引きシールに踊らされて、梅酒を衝動買いした、私の考えも、これまた甘かった〜。


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みかん猫67

ピンポ=ン ?

沖縄は梅雨明けになりましたが、九州北部はようやく梅雨らしい空模様の日々が続くようにになってきました。
雨は好きではありません。
濡れるのが苦手ですから。
靴の中に雨水が入り込んできたり、ズボンの裾が濡れたりするとイライラしてきます。

でも、雨を見るのは嫌いではありません。
奇麗な雨粒がベランダの手すりの下に溜まって、膨らんで、スーッと少し横に動いて、こらえきれなくなったところで下に落ちる・・・
そんな様子を眺めていて飽きることはありません。

今もそれほど明朗快活な性格ではありませんが、ネクラだった子供の時分から、一人、このようなものを眺めていたような気がします。
「気がします」ですから、明確な記憶としてこころのなかに止まっているわけではありません。

しかし、こういったこころの有り様を「詩ごころ」と言うのではないかと思っています。
その「詩ごころ」から端を発した「写真」こそ、私らしい写真ではないかと考える、今日この頃です。

車窓の眺めを楽しむのも好きです。
列車でもバスでも、乗用車でも。
自らハンドルを握ること無く、他人の運転に身を任せて、のんびりと窓の外を流れる景色をぼんやりと眺める。これも飽きることはありません。

雨の日の車窓の景色は独特の風情を見せてくれるので好きです。
列車の場合、車窓の景色は日々の生活から少し距離を置いた眺めとなりますが、市内をくねくねと走るバスの場合は、身近な眺めが楽しめてなかなか良いものです。

そんな眺めを楽しんだ帰りのバスでの出来事です。
私の下車するバス停の手前でピンポーンと降車の合図が鳴りました。
私は、窓の外を眺めながら、とりとめのないことを考えていましたので、自分が降りる停留所が次だと云うことにも気づいていませんでした。

誰かが押した降車の合図を聞いて、「あっ、降りなければ」と気づいた次第です。

バスが停留所に停まりました。
私は一番前の席に座っていましたので、降りる人は・・・と後ろを振り返ったのですが、誰も立ち上がる人が居ません。

降車の合図を押した人が降りてから、自分も降りる。
そんな自分なりのルールと云うか、マナーのようなものがあって、この日も、合図を押した人を探したのですが、誰も動きません。
しかたなく、立ち上がって一番にバスを降りたのですが、結局、そのバス停で降りたのは私一人でした。
私があまりにボーッと窓の外を眺めていたので、それを空の上から見ていた誰かが、私に代わってピンポ〜ンと鳴らしてくれたのでしょうかね。

JC0518.012 福岡市東区 GXR33_2.5m#

JC0518.011 福岡市中央区 GXR33_2.5m#

信号待ちで横に並んだバスの窓ガラスに押し付けられた女性の手。
本来、ふっくらと軟らかい女性の手が平たくなっているのが妙に気になったので、失礼して一枚撮らせて頂きました。

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みかん猫67

ZEISS ZMレンズで失敗

M型ライカのマウントはMマウントと云う形状で、ライカの製造するレンズ以外にもこのMマウントを採用しているメーカーがあります。
その他、Mマウント以前のLマウントと呼ばれる、いわゆるネジ込みマウントのレンズに、Mマウントアダプターと言われるものを仲介させて使うことも可能です。

JC0311.036 福岡県田川市後藤寺 B28#

ツアイスのZMマウントも規格はライカのMマウントと同じですので、ツアイスZMマウントレンズもライカに使用可能です。
私自身も、ZEISS ZMレンズを21mm、25mm、28mm、35mmと四本所有し、LEICA M8やM9などのデジタルカメラに着けて使っています。

そんなときに、気を緩めると失敗してしまうことがあります。
これまでに二度、同じミスをやってしまいました。

被写体に近づいて撮影するときに、その失敗はおこります。
本来、M型ライカのようなレンジファインダー式と呼ばれるカメラは構造上、近接撮影に弱いという特徴を持っています。
そのことについて、ここで話していると長くなるので省きますが、カメラの距離計を利用してピントを合わせることが出来るのは、レンズにも影響されますが、概ね70cmくらいです。

近くのものを撮影するときに私が用いる方法は、先ず、レンズの距離リング(ヘリコイド)を最短距離のところまで回してしまい、その後、ファインダーの中を見ながら、体を前後させて、目的の所にピントを合わせると言うやりかたです。

こうする方が素早く、そして確実に近距離でのピント合わせが出来ます。

ライカのボディにライカのレンズの場合だと、これで間違いなくピントが合ってくれるのですが、ツアイスのZMレンズの一部において、この方法だとピンボケ写真を作ってしまうのです。

私が、一番最初に使い始めたツアイス ZM レンズはBiogon 35mm F2 ZMです。
このレンズの場合、レンズの最短距離は70cmで、ライカの距離計を使って私の方法で近距離撮影を行っても問題なくピントが合います。

しかし、その後手に入れた21mm、25mmや28mmレンズの距離リング(ヘリコイド)は50cmのところまで回るように作られています。
ボディのM型ライカの距離計は70cmのところまでしか機能しないのですが、レンズは50cmのところまで回ります。
つまり、目では70cmのところでピントを合わせているのに、レンズは50cmのところにピントを合わせていることになり、20cmの誤差が生じて、その結果、ピントを合わせようと思ていた所に合わないというアクシデントにつながる次第です。


JC0605.002 福岡市東区 M9b25zm#

上の写真は、一番手前の赤い花にピントが合っていますが、実はその後ろの花にピントを合わせようとしたのです。
二番目くらいの花にピントを合わせて、あとは被写界深度えお利用して前後の花にもピントがくるようにと考えて撮影したのですが、結果はこのような次第です。

頭では、最短距離においては、レンズの距離リング目盛りとカメラの距離計とは合っていないことを理解しているのですが、長年の習慣は体が覚えてしまっていて、ボーッとしていると失敗してしまいます。

写真では咄嗟の判断を求められることが多々あります。
そのために、運動選手のように体に叩き込んで覚えることも大事です。
繰り返し、繰り返し写真を撮ることの大事さはこのことからも分かるはずです。

写真をを初めて45年、ライカを使いはじめて40年ほど。
体が覚え込んだことを、理性でコントロールするのは難しいようなので、この、二度の失敗が痛手となってこころに焼き付いてくれれば良いのですが、ご気楽写真の私の写真では、失敗がプロの写真家のように、命取りになることもありませんので、効き目はなさそうです。

でも、あと何回か同じ失敗を繰り返せば、いくら鈍感な私でも、多少は骨身にしみて、失敗がなくなることでしょう。

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みかん猫67

この二日間ばかり、この〔亀カメラ〕で28mmレンズについて書いてきました。
現在、M型ライカに使う28mmレンズを6本持っていることは最初に述べました。
そのうちの4本については、この二日間で取り上げましたので、今日は残りの2本のレンズを紹介します。

年齢を重ねるにつれ、自分の持ち物や身の回りのものを吟味するようになってきました。
あれこれ、取っ替え引っ替えして楽しむといったエネルギーが歳とともに欠如してきたのか、お気に入りのものを選りすぐって楽しむようになってきます。
洋服や什器に限らず、時計然り、万年筆然り、カメラも同様です。
カメラについては、これまでのいろんな機種を使ってきましたが、いつの日か、気がつけばM型ライカに絞られていました。
フィルムからデジタルに変わっても、やはり手に馴染んだM型ライカをメインのカメラとして使い続けています。

写真のレンズについても同様です。
あれこれ、何本も持っていても、普段使いのレンズは絞られてくるものです。
これが一番良いと思えるレンズが1本あれば十分のはずです。
例えばローライの二眼レフ。
レンズ交換が出来ませんので、あれこれ思い悩む必要がありません。
なまじレンズを交換して、あれこれと楽しめるばかりに、レンズ交換式のカメラは泥沼に陥りやすいのです。

気がつけば、交換レンズに取り巻かれています。
そんなとき、発作的に、あまり、使わないレンズは処分してしまおう・・・と、一念発起。
その後の一時期はスッキリとした気分になれるのですが、時間が経つと、またレンズに囲まれ、撮影の度に「さて、今日はどのレンズに・・・」と悩む始末です。

これは性分ですかね。
先ほど名前をあげた「ローライ」の二眼レフカメラ、レンス交換は出来ないのですが、レンズがプラナーのF2.8だったり、同じプラナーですがF3.5があったり、テッサーがあったり、クセノタールがあったり、ローラー二眼レフと言っても、いろいろな種類がありますので、私のような性分の人間は、何台もローラー二眼レフを枕元に並べ良い夢を見るでしょうね。

さて、M型ライカで使う28mmレンズ。
今日紹介するのは、初日に紹介した最新のアスフェリカルレンズ、二日目に紹介した古いレンズの中間に位置する二本のレンズです。

ELMARIT-M 28mm F2.8とZEISS Biogon 28mm F2.8の二本です。
これで、現在、私の手元にある28mmレンズ、全てが登場したことになります。
今日の二本は「真打ち登場」と言ったところで、二本とも私のお気に入りです。
二本とも、オーソドックスなガラス玉レンズです。

福岡市東区

福岡県田川市後藤寺

最初の写真がELMARIT-M 28mm F2.8で撮ったもので、二枚目の写真がZEISS Biogon 28mm F2.8で撮ったものです。
ELMARIT-M 28mm F2.8は現行のアスフェリカルレンズの前のレンズですが、これがなかなか優れもののレンズで、お気に入りです。
少し前にはこのレンズを二本持っていましたが、一本手放して、新たに手に入れたのがZEISS Biogon 28mm F2.8と云う次第です。

こちらは、まだそれほど使い込んいませんが、他のZEISSレンズ同様、少々濃い味の写りに不満はなく、レンズ自体も割とコンパクトで気に入っています。
ただ、一つ戸惑うことがあるのですが、それはまた明日の話にします。


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みかん猫67

梅雨時が似合うレンズ

昨日の〝亀カメラ〟では二本の28mmレンズで撮った写真を載せました。
先ずはSUMMICRON-M 28mm F2 ASPH.、次がELMARIT-M 28mm F2.8 ASPH.でした。
いずれもアスフェリカルレンズで、比較的新しいレンズの部類に入ります。

そこで、今日は一転して古い28mmレンズで撮った写真を載せてみました。
Summaron 28mm F5.6です。
ライカの場合、古い時代のレンズでも、最新のデジタルカメラに装着できます。
デジタルカメラに最新のデジタルに適したレンズを着けて、スッキリ、クッキリのデジタル写真も素敵なのでしょうが、デジタルには不向きと思われるような古いレンズを着けて撮ってみると、それはそれでなかなか個性的な(良い言い方ですね)写りを楽しむことができます。

梅雨の時期の花と言えば「紫陽花」です。
私がよく歩く道沿いにこの写真の紫陽花はあります。
毎年、感心するのですが、ここの紫陽花は奇麗な青色で見事です。
この紫陽花の下の方にはカンナの花も咲きますが、そのカンナの赤もZeissレンズの発色のような濃厚な色の乗りで咲いています。

今日はつぶらな瞳が魅力の28mmレンズ二本の競演です。

最初の写真は1998年に発売された現代版のレンズのG-Rokkor 35mm F3.5です。
高級コンパクトカメラMinolta TC-1に採用されていた28mmレンズを、Lマウントにして発売されたレンズです。

福岡市東区6

二枚目の写真はSummaron 28mm F5.6です。
このレンズの製造は1955年からですから、G-Rokkorとの年代差は約半世紀ということになります。
レンズの比較テストをするつもりはありませんでしたので、撮影日が一日違います。
当然、空模様も違っていますので、厳密な比較テストにはなりませんが、二本のレンズの違いは分かって頂けると思います。

Jc0618.006 福岡市東区 su28.5.6#


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みかん猫67

昨日の〔亀カメラ〕では「全ての写真は記念写真である」と、多少、苦し紛れのところもありましたが、強引に落着させました。
出会い、感じ、気持ちが動いた「結果」が写真に写っているだけと考えるのですが、「結果写真」とも言えず、適当な言葉も見当たらず。出会えた記念に・・・と云うことから、「記念写真」と言い切った次第です。

出会いは「人」だけに限ったことでもありません。
きれいな景色、目を見張る瞬間、こころ惹かれるものとの出会いもあるはずです。
そういったものとの出会いも、当然、写真に撮ります。
どちらかと云うと、私の写真は「人」よりも、そちらの「もの」や「光」や「空間」との出会いの「結果」としてのものが多いようです。

私たちに大切なことは「発見」すること「気づく」ことです。
発見するためには見なければなりません。
気づくためには周りに気配りしなければなりません。
そして、感じなければなりません。
その、「見る」能力、とくに詳細に見る「観察」する能力や、「気」を配ったり、気配を察知する能力が、現代人は退化しているように感じます。

今という瞬間は二度と戻ってきませんし、今日と云う日も同様です。
目を皿のようにして周りを見なさいとまでは云わないまでも、パソコンや携帯電話の液晶画面ばかりではなく、少しは自分の周りにも興味を持って注意を払ってみては如何でしょうか。

写真は絵画などとは違い、発見して、感じて、撮ると云う行為までの「間」が極めて短く、瞬間の判断が要求される場合が圧倒的に多いのです。
絵画は発見して、観察して、こころに留めて・・・・と段階を踏みながらことを進めることができますが、写真は発見してから撮影を終えるまで瞬時に行わなければならないのです。
これは極めて身体的行為です。
身体行為を的確にこなすには、繰り返し行い、体に覚え込ます必要があります。
「写真が上手くなるには?」ろ云う問いに、多くの写真家が「沢山撮ること」と答えるのはこのことです。

アンリ・カルティエ・ブレッソン氏は『写真は射撃、絵画は瞑想』と言っています。
でも、写真のなかには、絵画ほどではありませんが、時間が掛けられるものもあります。
発見して観察してじっくりと撮る。

昨日の〔亀カメラ〕で引用した「念」の意味をもう一度引用してみます。

仏語。
㋐ 心の働き。記憶する働き。
㋑ 非常に短い時間。一念。刹那。
㋒ 対象に向かって心を集中し、冥想(めいそう)すること。

㋐と㋑はそのまま写真にあてはめることが出来ますが、㋒の「瞑想」についても、例えば暗室の中での作業や、パソコンでの処理のときなどにじっくりと「瞑想」できるはずです。
また、広い写真の分野の中には撮影の段階から「瞑想」する時間が与えられるものもあります。
「瞑想」により「念」を込める。
大量生産、大量消費で薄っぺらなものがどんどん作られ、捨て去られる時代だからこそ、写真プリント一枚一枚に「念」を込める努力をしてみてもよいのではないでしょうか。

CP0905.049 韓国釜山 sx35a#

未使用CP0901.149 韓国 sx35a#


「念」と「記憶」の「憶」とが一緒になった「憶念」(臆念とも書きます)と云うことばがありました。
意味は「深く思い、絶えず忘れないこと」ですが、しっかり見て(観察して)、その感動を深くこころに刻む・・・その「結果」としての「写真」が今日も撮れると嬉しいのですが、世の中そんなに甘くはないですね。
でも、こころがけ次第では、いつか、何かが飛び込んでくるはずです。

今日の写真は二枚とも韓国の釜山、蔚山の町を歩いていて出会った「もの」たちです。
旅の空の下では感受性も鋭敏になるのですが、日常においてはなかなか・・・

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みかん猫67

写真はすべて記念写真

友人知人との楽しい時間を写したものだけが「記念写真」ではありません。
見ず知らずの人との出会いのなかで撮られた写真も、やはり「記念写真」だと思うのです。
つまり、「あなたと出会えた記念に」なのです。
ずいぶんと昔に『あなたと会えた記念に』と云うタイトルで写真をまとめたことがありますが、私のなかに「写真は記念写真だ」と云う考えが昔からあったことは確かです。

記念写真は私たちにとって最も身近な写真で、記念写真こそ写真の原点ではないかと云うことと、写真はそこに写っている人やものと向き合った記念。
この二つが「写真は記念写真だ」と書いた理由です。
ですから、写真のなかに収まっている人々が全て友人知人でなくても、それは出会い記念に押されたスタンプみたいなもので、「記念」そのものなのです。

ここまで書いたところで、気になることが出てきました。
このようなことはよくあることです。
なんと言っても、行きあたりばったりで書いているものですから、矛盾も多いし間違った考えもあるでしょう。
書いているうちに、自分自身で分からないことが出て来たり、疑問が生じたりしたときには、文章を書きながら、その都度、調べると云った「自転車操業」そのものです。

気になったのは「記念」とは何ぞやと云うことです。
辞書で調べてみると、『思い出となるように残しておくこと。また、そのもの。』

「思い出となるように・・・」
となると少々私の場合違ってくるのです。
あとでその写真見て、思い出を懐かしむために撮るといったこととは、私の場合、少し違うかもしれません。
「記念写真」が思い出となるように残しておくために撮られた写真だとすると、思い出として懐かしむために写真に残しておこうとして撮るわけではありませんので、『写真はすべて記念の写真』とは言えなくなってしまいます。

困った・・

写真は、あくまでそこに居た、出会った、見た・・・その「結果」でしかないのです。
「結果」?
結果とは、「ある原因や行為から生じた、結末や状態」と辞書に書かれていました。
なかなか良いじゃありませんか。
でも「結果写真」なんて聞いたこともありません。

「記念」を調べるときに「記」と「念」に分けても調べてみたところ、「念」のところで面白い意味を見つけました。

仏語。
㋐ 心の働き。記憶する働き。
㋑ 非常に短い時間。一念。刹那。
㋒ 対象に向かって心を集中し、冥想(めいそう)すること。

と、辞書に書かれていました。
なかなか写真的ですね。
写真は「念力」で撮る・・・と、ある高名な写真家が言っていました。
また、別の写真家は、「深い想い」が写真を撮らせる・・・とも言っていました。

私という個人の時間軸と、他の人の時間軸、それに物や、空間がもつ時間軸が交わる一点。
その「刹那」の結果が写真。
なんて、考えると息苦しくなりますし、エエ加減な私らしくもないので、今日のところは『写真はすべて記念写真』とすることで、お許しください。

CP0901.160 韓国蔚山 M8sx35a#

CF0822.060 北九州市門司区清滝 C17-55#

一枚目の写真は韓国の蔚山と云う町で出会った人にお願いをして写真を撮らせてもらいました。
夕方の町を歩いているときに、夕涼みにでも出て来たのでしょうか、家の門口に老立っている老婦人に出会いました。
おそらく、異国でのことでもありますので、この老婦人と再び会うことはないでしょう。

二枚目の写真はよく撮影に出かける、北九州市の門司で出会った猫おばあさんです。
この猫おばあさんとは二度お会いしました。
この写真は最初に出会ったとこのもので、三年後くらいのもう一度、同じ場所でお会いしました。
そのときも、猫と一緒でしたが、少しお歳をとり過ぎておられたので、お話だけをしておばあさんにレンズは向けませんでした。

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みかん猫67

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