2010年6月アーカイブ

サッカーのワールドカップで盛り上がっています。
いえいえ、私がじゃなくて、世の中が・・・です。
それにしても、日本におけるサッカー熱は急上昇ですね。
私が若い頃はサッカーなんて耳にすることもありませんでした。
ラグビーやアメリカンフットボールも含めて、「蹴球」と言っていたように思います。

サッカーに無関心な私ですから、異常なサッカー騒動で、毎日、辟易してしまいます。
ワールドカップが始まる前は日本チームの監督が、いかに無能かとか、この日本チームでは勝てないといった内容のことを、スポーツ新聞などのマスコミが書いたり放送したりしていましたが、予選で一勝したとたんに、手のひらを返したように、論調ががらっと変わったのには、門外漢の私なども驚きでした。
マスコミの奏でるサッカー音頭に踊らされている諸君を見ていると、なんとも情けない気分になります。

私のような年代の人間は、するにも、見るにも野球でした。
でも、最近では歳の所為で体が思うように動かなくなり、運動も思い通りにはいきません。
そんな訳で、スポーツ全体に興味が薄らいでしまっています。
オリンピックも見なかったし、今度のサッカーも見ていません。
テレビでの野球中継も少なくなっているようですが、野球もほとんど見なくなりました。
歳ですから、闘争心そのものが無くなっているのでしょうね。

サッカーの日本チームは昨夜、負けたようです。
このところ連日そうでしたが、テレビはサッカー一色です。
どこのチャンネルを見ても、サッカー・サッカーです。
毎朝、食事をしなから見るともなく見ていたテレビのスイッチを、とうとう今朝は切ってしまいました。
日本チームが負けたことで、少しはまともな状態に戻るのではないかと、申し訳ないのですがほっとしています。

ここまで書いて、「えらいこと、書いてしもうたな・・・」と反省しています。
全てを消去して、また一から書き直す・・・それも大変。
さてさて、この先、そのように話を展開すれば良いものやら。

「サッカー音頭」が大音響で鳴り響いています。
大音響に身を委ね、陶酔するかのように浮かれて踊る集団のなかに身を投じる。
それも良いかも知れませんが、一人で好きな曲に耳を傾ける、それも忘れてはならないことです。
大きな音ばかり聞いていたのでは、ささやかな音が聞こえなくなってしまいますよ。

「私を撮りなさい」「私を撮って」と大声で呼びかける被写体ばかりを相手にするのではなく、私たち一人一人の小さな受信機で微かに聞き取れるようなささやきにも気づくことも大切です。
私にしか聞こえない・・・そんな些細なことにレンズを向けるのも、これはこれで楽しいことですし、私らしさが出せる作業ではないでしょうか。

歳とともに、前へ前へと進む闘争心をなくし、スポーツにも興味を無くしつつある私にとって何気ない日常のなかに潜むものと対話することは、似合いの行為なのかも知れません。

今日は雨上がりの日の、赤い花と白い花の写真を用意しました。

JC0616.002 福岡市東区 M9su28_5.6#

雨上がりの道を歩いていました。
雨に濡れた道は黒ずんでいます。
その黒い道の上に赤いバラの花びらが落ちていました。
歩きながら目の隅で赤い花びらを見ながら一旦、通り過ぎたのですが、やはり気になって引き返し写真に撮りました。

次の日もこの花びらの横を通りましたが、その日は写真の撮ろうと云う気さえおきませんでした。おそらく、乾いて白くなった道路の上では赤い花びらの魅力は半減してしまったのでしょう。
その次の日もこの道を通りました。
花びらは風に吹き飛ばされて、通りのあちらこちらに散らばってしまっていました。

全ての条件がそろったある一瞬、それが、この赤い花びらの写真ということになります。
おそらく、多くの人はこの花びらがこんなに魅力的だと気づいていないと思います。
大した写真ではないかも知れませんが、私はお気に入りです。

JC0627.024 福岡市東区 M9b35_2zm#

白い花は、実は我が家の駐車場に落ちたアベリアの花です。
この生け垣をながく見てきましたが、このような写真になったのは初めてです。
やはり、全ての条件が揃ったのが、この日、この時と云えます。
こう考えると、梅雨時も乙なものではありませんか。

赤い花も白い花も私にしか見えなかった些細なことかも知れませんが、そんなものでも写真に撮って良いんじゃないですか。
そこに、私(あなた)が求めるものが潜んでいることに気づいたのなら。

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みかん猫67

今日は、小さなこころの動きで撮った写真を二枚使って〔亀カメラ〕を書いてみました。

大学の研究室の隣に、学生たちのための部屋があります。
普段はゼミに所属する三年生と四年生が使っています。
部屋の中には学生用のロッカーや本箱、それにパソコンやプリンターなども設置されています。
その他にも冷蔵庫や電子レンジ、ポットなど昼食やお茶の時間を楽しめるようにもなっています。
部屋の掃除などは学生に任せているのですが、どうも今の学生たちは整理整頓が苦手のようです。

朝、部屋の鍵を開けて中を覗いてみると、部屋の中央のテーブルの上には山積みになった写真雑誌やなにかが散らばっており、椅子は乱雑に置かれた状態でした。
これは、毎日のことで、テーブルの上の本はいつになったら本箱に片付けられるものやら、ある意味楽しみにしていたのですが、本の山はますます堆くなっていくばかり。


JC0617.002 大学ゼミ室 K7Lda21-3.2#

この写真は6月17日の朝に撮ったものです。
片付いていない部屋の写真を撮ったものではありません。
テーブルの上に転がっていたシャープペンシルの軸の青色が、窓からの光を受けて奇麗な色をしていたので撮ってみたものです。

今朝の部屋の中はこの写真を撮った日以上に雑然としていました。
さすがの私もちょっとあきれて、先ずは本箱の整理をして、テーブルの上の本を本箱に収納して片付けました。
若者たちよ、年寄りにあまり世話をやかせるなよ。


JC0619.008 福岡市東区 M9gr28/3.5

バスの窓からの眺めです。
JRの踏切待ちで停車していたバスの窓の外をぼんやりと見ていたのですが、旗の内容が気になって急いで撮りました。
『イカ塩辛 食べ放題』
「食べ放題」と言われても、塩辛を丼二杯三杯と食べる人は居ないよね。
どんなものかちょっと気になったのですが、私も、塩分控え目な生活を考えなければならないお年頃ですから、『イカ塩辛 食べ放題』にチャレンジは出来ません。

大学の授業で、「何でもよいから好きなものを撮ってきなさい」と言うと、学生諸君から「何を撮ったら良いのか分からない」と云う声を聞くことがありますが、写真に撮るのって、こんなものでも十分ではないでしょうか。
とにかく、気になったら撮る。
写真になるならないをあまり考えずに、シャープペンシルの軸の青色が奇麗だったとか、いかの塩辛? とか、小さなこころの動きに右手人差し指をちょっと震わせることから始めれば良いのですよ。


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みかん猫67

新入生が友人を作り、教師ともコミュニケーションがとれ、大学生活に一日でも早く馴染めるようにと云うことを目的に毎年、新学期が始まって早い時期にバスハイクを実施しています。
目的地は長崎のハウステンボスです。

このバスハイクと同じような目的で、一年生の前期期間(4月〜7月)に「基礎ゼミナール」と云う授業も実施しています。
こちらは、6名の教師が新入生を六等分した数をそれぞれ受け持ち、毎週一回、90分の授業をやっております。

その「基礎ゼミナール」を私も担当しており、私のクラスは10名の学生を預かっています。
先日、その授業時間を利用して、バスハイクで出かけた長崎ハウステンボスで撮った写真を使って、学生たちの作品をWEB上で公開するためのページを作りました。

新入生ですから、学生たちが持っている、写真に対する知識や技術のレベルはまちまちです。
フィルムカメラで撮影して、そのネガをスキャナーにかけてデジタルデータ化するところまで、自分で仕上げてきた学生も居れば、Photoshopでの作業もおぼつかない学生も居ます。
そんな学生たちに、web上で作品を公開するための画像調整を教え、出来上がった写真を私の方にメールで送ってもらい、その写真を私の方で学生個々のページを作って掲載するのです。

こうすることで、学生たちがいろんな人の写真を楽しむことができます。
もちろん自分の写真の特徴も掴めるかもしれません。
ハウステンボスという、同じ空間で、それぞれが撮った写真を並べてみると、「こんなものがあったのだ」とか「この撮り方は面白いな」とか学生諸君にも刺激になると考えます。

ここ数年の傾向ですが男子学生に覇気が無くて、撮影枚数も女子学生に比べ圧倒的に少ない傾向が続いていました。
男子学生たちの頭と心が硬直化してしまっているのでしょうか・・・と思い続けてきたのですが、今年はちょっと元気な男子学生の姿が目立ちました。

ただ、多くの男子学生はこれまでと同じで、消極的で、みんな同じようなものを同じように撮影しています。
「人とは違ったものを見つけよう」「自分だけのものを探そう」としている人が少ない。
〔風車〕〔白鳥〕〔水上ボート〕〔花〕〔代表的な建物〕などなど素直で良いのかも知れないけれど、「へ~、良いもの見つけたな」と感心させられるものが少ない。
〔撮る〕より〔仕方なく撮っている〕といった印象が強く残ります。

まあ、高校生の殻をお尻に引っ付けた状態のこの時期の若者男子によくある傾向ですが、「人の言うことを真面目に聞いて、はいはいと動くなんてダサイ」と云った、ある種の照れみたいなものもあるのかも知れません。

自らが積極的に関わると云う能動的な姿勢が見られず、受動的な姿勢がしみ込んでいるように見えます。
これは、テレビの番組を見るにしても、ただ鵜呑みにしてぼんやりと見続けてきた結果の表れではないでしょうか。

もっともっと自分の想いとか、心の中にある感情や記憶といったものと、目の前のあるものとの重なりとか反響とか共鳴とかそういった己の心の動きに反応した写真を撮れるようになってもらいたいものです。

男子学生に比べ、女子学生は全体的に良いですね。
やわらかな心で、撮ることを素直に楽しんでくれています。
ただ、一年生の今の段階ではパソコンを操作したり、画像処理ソフトを使うことに戸惑っているところがあって、撮影後のところで悪戦苦闘している様子が見えました。

なんといっても写真を楽しむ心を持っていることが一番大事です。
写真は体を動かし被写体に気づき、シャッターを幼いことには何にも始まりません。
デジタルカメラの良さは「軽味(かろみ)」にあります。
難しいことや、理屈を考えないで、とりあえず撮っておく。
それが簡単に出来るのがデジタルカメラの良さでしょう。
その特徴をうまく使っているのが女子学生だといえます。
男はとかく杓子定規にものごとを考え過ぎで、作り出すものは定型化したものが多いように想います。

まだ一年生ですから、これからですね。
学生一人一人にもの作りの楽しさを分からせ、自己の特徴に気づかせる・・・それが私達教師の腕の見せ所でしょね。
今回、見た学生の仲にも良い種を宿した人たちが三名ほどいました。
一人でも、二人でも、そんな学生が順調に育つよう刺激し続けます。


CB0426.017 長崎ハウステンボス M8.2sx35a#

私の写真もハウステンボスです。
ハウステンボスは大村湾に面していて、風が強く吹きます。
そんな風に煽られて、ハプニングが起きました。
なんと、このおじさんの「かつら」が風に吹き飛ばされてしまったのです。
飲食店の従業員の男性も笑いをこらえるのに必死の様子。
当人のおじさんも、笑うしかなかったようです。


JC0424.058 長崎ハウステンボス M9sn35a

修学旅行に来ていた中学生です。
男子学生が回転木馬に乗った女子学生の写真を撮っていました。
最初は座って撮っていましたが、そのうちに熱が入ったのか、立ち上がって撮るようになりました。
そうですよ、男子学生諸君。
この気持ちですよ。
撮りたいものを一心不乱に撮る。
キザに格好つけていても、何も残りませんよ。
写真にとって「後の祭り」は後悔だけしか残りません。

今、撮らなきゃ・・・

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みかん猫67

スーパーの10%割引券を貰いました。
「10%引き」と書かれたシールが三枚。
買った商品に、自分でその10%引きのシールを貼ってレジに持って行くと10%値引きしてくれるとのこと。

キリンレモン、86円にこの「切り札」を貼るのも馬鹿らしいので、なにか値の張るもので必要なものはないかと探しまわってみましたが、なかなか見つかりません。
10%割引券の有効期限は本日までなので、貧乏人の意地汚さが出て、なんとしても高額商品にシールを貼ろうと画策する次第です。

このあたりが、商売人の思う壷に填められているのでしょうね。
スーパーの中を何周か回ったとろころで、ある商品が目にとまりました。
「梅酒」です。
なんとなく体に良さそうなので、以前から梅酒が気になっていました。

一升瓶で、それなりの値段がします。
四合瓶でも良かったのですが、なんといっても10%引きになるのですから、ここは値引き効果を最大限に引き出そうと、奮発して一升瓶をレジに持って行きました。

ガーン。
レジのおばさんが驚愕の一言。
「梅酒はお酒ですから、値引きの対象外です」
そんな話は聞いてない・・・と因縁をつけたいところですが、そこは老眼の悲しさ。
かならず、「値引き対象外の商品もあります」とか「酒類は対象外です」とか、そのような注意書きが小さな文字で書かれているはずです。
そんな小さな字は老眼があっても読めません。
レジでごねたところで、恥の上塗りになるのは目に見えているので、そこはおとなしく引き下がりました。

その10%割引シールを一升瓶から剥がしたレジのおばさんは・・・「なるべく高いものに貼りましょうね」とかなんとか言いながら、86円のキリンレモンのペットボトルに貼りなおしてくれました。
「おばちゃん、おおきに、ありがとさん」
こんなことなら、下の写真のおじさんのように焼き肉用の肉か、高級ステーキ肉でも買っておけばよかったですね。

JC0505.001 福岡市中央区天神 GXR33m#

JC0616.006 福岡市東区 M9su28_5.6#

通勤の途中でよく通る道沿いに梅の木が十数本植えられたところがあります。
梅の花が咲く頃にはほのかな花の香りを楽しむことができるのですが、この日は、色づいた梅の実が沢山落ちていたので写真に撮っておきました。

撮影用のレンズは、先日、「梅雨が似合うレンズ」と紹介した、Summaron 28mm F5.6です。

それにしても、梅酒は甘かった〜。
値引きシールに踊らされて、梅酒を衝動買いした、私の考えも、これまた甘かった〜。


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みかん猫67

ピンポ=ン ?

沖縄は梅雨明けになりましたが、九州北部はようやく梅雨らしい空模様の日々が続くようにになってきました。
雨は好きではありません。
濡れるのが苦手ですから。
靴の中に雨水が入り込んできたり、ズボンの裾が濡れたりするとイライラしてきます。

でも、雨を見るのは嫌いではありません。
奇麗な雨粒がベランダの手すりの下に溜まって、膨らんで、スーッと少し横に動いて、こらえきれなくなったところで下に落ちる・・・
そんな様子を眺めていて飽きることはありません。

今もそれほど明朗快活な性格ではありませんが、ネクラだった子供の時分から、一人、このようなものを眺めていたような気がします。
「気がします」ですから、明確な記憶としてこころのなかに止まっているわけではありません。

しかし、こういったこころの有り様を「詩ごころ」と言うのではないかと思っています。
その「詩ごころ」から端を発した「写真」こそ、私らしい写真ではないかと考える、今日この頃です。

車窓の眺めを楽しむのも好きです。
列車でもバスでも、乗用車でも。
自らハンドルを握ること無く、他人の運転に身を任せて、のんびりと窓の外を流れる景色をぼんやりと眺める。これも飽きることはありません。

雨の日の車窓の景色は独特の風情を見せてくれるので好きです。
列車の場合、車窓の景色は日々の生活から少し距離を置いた眺めとなりますが、市内をくねくねと走るバスの場合は、身近な眺めが楽しめてなかなか良いものです。

そんな眺めを楽しんだ帰りのバスでの出来事です。
私の下車するバス停の手前でピンポーンと降車の合図が鳴りました。
私は、窓の外を眺めながら、とりとめのないことを考えていましたので、自分が降りる停留所が次だと云うことにも気づいていませんでした。

誰かが押した降車の合図を聞いて、「あっ、降りなければ」と気づいた次第です。

バスが停留所に停まりました。
私は一番前の席に座っていましたので、降りる人は・・・と後ろを振り返ったのですが、誰も立ち上がる人が居ません。

降車の合図を押した人が降りてから、自分も降りる。
そんな自分なりのルールと云うか、マナーのようなものがあって、この日も、合図を押した人を探したのですが、誰も動きません。
しかたなく、立ち上がって一番にバスを降りたのですが、結局、そのバス停で降りたのは私一人でした。
私があまりにボーッと窓の外を眺めていたので、それを空の上から見ていた誰かが、私に代わってピンポ〜ンと鳴らしてくれたのでしょうかね。

JC0518.012 福岡市東区 GXR33_2.5m#

JC0518.011 福岡市中央区 GXR33_2.5m#

信号待ちで横に並んだバスの窓ガラスに押し付けられた女性の手。
本来、ふっくらと軟らかい女性の手が平たくなっているのが妙に気になったので、失礼して一枚撮らせて頂きました。

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みかん猫67

ZEISS ZMレンズで失敗

M型ライカのマウントはMマウントと云う形状で、ライカの製造するレンズ以外にもこのMマウントを採用しているメーカーがあります。
その他、Mマウント以前のLマウントと呼ばれる、いわゆるネジ込みマウントのレンズに、Mマウントアダプターと言われるものを仲介させて使うことも可能です。

JC0311.036 福岡県田川市後藤寺 B28#

ツアイスのZMマウントも規格はライカのMマウントと同じですので、ツアイスZMマウントレンズもライカに使用可能です。
私自身も、ZEISS ZMレンズを21mm、25mm、28mm、35mmと四本所有し、LEICA M8やM9などのデジタルカメラに着けて使っています。

そんなときに、気を緩めると失敗してしまうことがあります。
これまでに二度、同じミスをやってしまいました。

被写体に近づいて撮影するときに、その失敗はおこります。
本来、M型ライカのようなレンジファインダー式と呼ばれるカメラは構造上、近接撮影に弱いという特徴を持っています。
そのことについて、ここで話していると長くなるので省きますが、カメラの距離計を利用してピントを合わせることが出来るのは、レンズにも影響されますが、概ね70cmくらいです。

近くのものを撮影するときに私が用いる方法は、先ず、レンズの距離リング(ヘリコイド)を最短距離のところまで回してしまい、その後、ファインダーの中を見ながら、体を前後させて、目的の所にピントを合わせると言うやりかたです。

こうする方が素早く、そして確実に近距離でのピント合わせが出来ます。

ライカのボディにライカのレンズの場合だと、これで間違いなくピントが合ってくれるのですが、ツアイスのZMレンズの一部において、この方法だとピンボケ写真を作ってしまうのです。

私が、一番最初に使い始めたツアイス ZM レンズはBiogon 35mm F2 ZMです。
このレンズの場合、レンズの最短距離は70cmで、ライカの距離計を使って私の方法で近距離撮影を行っても問題なくピントが合います。

しかし、その後手に入れた21mm、25mmや28mmレンズの距離リング(ヘリコイド)は50cmのところまで回るように作られています。
ボディのM型ライカの距離計は70cmのところまでしか機能しないのですが、レンズは50cmのところまで回ります。
つまり、目では70cmのところでピントを合わせているのに、レンズは50cmのところにピントを合わせていることになり、20cmの誤差が生じて、その結果、ピントを合わせようと思ていた所に合わないというアクシデントにつながる次第です。


JC0605.002 福岡市東区 M9b25zm#

上の写真は、一番手前の赤い花にピントが合っていますが、実はその後ろの花にピントを合わせようとしたのです。
二番目くらいの花にピントを合わせて、あとは被写界深度えお利用して前後の花にもピントがくるようにと考えて撮影したのですが、結果はこのような次第です。

頭では、最短距離においては、レンズの距離リング目盛りとカメラの距離計とは合っていないことを理解しているのですが、長年の習慣は体が覚えてしまっていて、ボーッとしていると失敗してしまいます。

写真では咄嗟の判断を求められることが多々あります。
そのために、運動選手のように体に叩き込んで覚えることも大事です。
繰り返し、繰り返し写真を撮ることの大事さはこのことからも分かるはずです。

写真をを初めて45年、ライカを使いはじめて40年ほど。
体が覚え込んだことを、理性でコントロールするのは難しいようなので、この、二度の失敗が痛手となってこころに焼き付いてくれれば良いのですが、ご気楽写真の私の写真では、失敗がプロの写真家のように、命取りになることもありませんので、効き目はなさそうです。

でも、あと何回か同じ失敗を繰り返せば、いくら鈍感な私でも、多少は骨身にしみて、失敗がなくなることでしょう。

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みかん猫67

この二日間ばかり、この〔亀カメラ〕で28mmレンズについて書いてきました。
現在、M型ライカに使う28mmレンズを6本持っていることは最初に述べました。
そのうちの4本については、この二日間で取り上げましたので、今日は残りの2本のレンズを紹介します。

年齢を重ねるにつれ、自分の持ち物や身の回りのものを吟味するようになってきました。
あれこれ、取っ替え引っ替えして楽しむといったエネルギーが歳とともに欠如してきたのか、お気に入りのものを選りすぐって楽しむようになってきます。
洋服や什器に限らず、時計然り、万年筆然り、カメラも同様です。
カメラについては、これまでのいろんな機種を使ってきましたが、いつの日か、気がつけばM型ライカに絞られていました。
フィルムからデジタルに変わっても、やはり手に馴染んだM型ライカをメインのカメラとして使い続けています。

写真のレンズについても同様です。
あれこれ、何本も持っていても、普段使いのレンズは絞られてくるものです。
これが一番良いと思えるレンズが1本あれば十分のはずです。
例えばローライの二眼レフ。
レンズ交換が出来ませんので、あれこれ思い悩む必要がありません。
なまじレンズを交換して、あれこれと楽しめるばかりに、レンズ交換式のカメラは泥沼に陥りやすいのです。

気がつけば、交換レンズに取り巻かれています。
そんなとき、発作的に、あまり、使わないレンズは処分してしまおう・・・と、一念発起。
その後の一時期はスッキリとした気分になれるのですが、時間が経つと、またレンズに囲まれ、撮影の度に「さて、今日はどのレンズに・・・」と悩む始末です。

これは性分ですかね。
先ほど名前をあげた「ローライ」の二眼レフカメラ、レンス交換は出来ないのですが、レンズがプラナーのF2.8だったり、同じプラナーですがF3.5があったり、テッサーがあったり、クセノタールがあったり、ローラー二眼レフと言っても、いろいろな種類がありますので、私のような性分の人間は、何台もローラー二眼レフを枕元に並べ良い夢を見るでしょうね。

さて、M型ライカで使う28mmレンズ。
今日紹介するのは、初日に紹介した最新のアスフェリカルレンズ、二日目に紹介した古いレンズの中間に位置する二本のレンズです。

ELMARIT-M 28mm F2.8とZEISS Biogon 28mm F2.8の二本です。
これで、現在、私の手元にある28mmレンズ、全てが登場したことになります。
今日の二本は「真打ち登場」と言ったところで、二本とも私のお気に入りです。
二本とも、オーソドックスなガラス玉レンズです。

福岡市東区

福岡県田川市後藤寺

最初の写真がELMARIT-M 28mm F2.8で撮ったもので、二枚目の写真がZEISS Biogon 28mm F2.8で撮ったものです。
ELMARIT-M 28mm F2.8は現行のアスフェリカルレンズの前のレンズですが、これがなかなか優れもののレンズで、お気に入りです。
少し前にはこのレンズを二本持っていましたが、一本手放して、新たに手に入れたのがZEISS Biogon 28mm F2.8と云う次第です。

こちらは、まだそれほど使い込んいませんが、他のZEISSレンズ同様、少々濃い味の写りに不満はなく、レンズ自体も割とコンパクトで気に入っています。
ただ、一つ戸惑うことがあるのですが、それはまた明日の話にします。


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みかん猫67

梅雨時が似合うレンズ

昨日の〝亀カメラ〟では二本の28mmレンズで撮った写真を載せました。
先ずはSUMMICRON-M 28mm F2 ASPH.、次がELMARIT-M 28mm F2.8 ASPH.でした。
いずれもアスフェリカルレンズで、比較的新しいレンズの部類に入ります。

そこで、今日は一転して古い28mmレンズで撮った写真を載せてみました。
Summaron 28mm F5.6です。
ライカの場合、古い時代のレンズでも、最新のデジタルカメラに装着できます。
デジタルカメラに最新のデジタルに適したレンズを着けて、スッキリ、クッキリのデジタル写真も素敵なのでしょうが、デジタルには不向きと思われるような古いレンズを着けて撮ってみると、それはそれでなかなか個性的な(良い言い方ですね)写りを楽しむことができます。

梅雨の時期の花と言えば「紫陽花」です。
私がよく歩く道沿いにこの写真の紫陽花はあります。
毎年、感心するのですが、ここの紫陽花は奇麗な青色で見事です。
この紫陽花の下の方にはカンナの花も咲きますが、そのカンナの赤もZeissレンズの発色のような濃厚な色の乗りで咲いています。

今日はつぶらな瞳が魅力の28mmレンズ二本の競演です。

最初の写真は1998年に発売された現代版のレンズのG-Rokkor 35mm F3.5です。
高級コンパクトカメラMinolta TC-1に採用されていた28mmレンズを、Lマウントにして発売されたレンズです。

福岡市東区6

二枚目の写真はSummaron 28mm F5.6です。
このレンズの製造は1955年からですから、G-Rokkorとの年代差は約半世紀ということになります。
レンズの比較テストをするつもりはありませんでしたので、撮影日が一日違います。
当然、空模様も違っていますので、厳密な比較テストにはなりませんが、二本のレンズの違いは分かって頂けると思います。

Jc0618.006 福岡市東区 su28.5.6#


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みかん猫67

『レンズで好きな焦点距離は?』と聞かれたときには、ながく「35mmレンズ」と答え続けててきました。
写真をやる人なら当然ご存知のことと思いますが、レンズの焦点距離が変わると何が変わるのか?

先ずは焦点距離とは何ぞやと云うことですが、これは簡単に言ってしまえば、レンズの中心からフィルムのある焦点面までの距離のことで、一般的にはミリで表されます。

その焦点距離が違うことで何が変わるのか。
先ずは「画角」が変わります。
画角とは、簡単に言ってしまえば、見える(写る)範囲のことです。

次に変わるのが「遠近感」です。
平面の二次元画面で、視覚的に奥行きを感じさせる、その度合いがレンズの焦点距離によって変わります。

そして、「被写界深度」も変わります。
被写界深度とは、ピントが合って見える範囲(奥行きにおいて)のことで、画面の手前から奥までピントが合って見えることを被写界深度が深いと言い、反対にある一点にだけピントが合っていて、その他はピントがきていない状態を被写界深度が浅いと表現します。

つまり、焦点距離が変わると、写真が変わるのです。

フィルムカメラの時代から、私が普段使ってきたのは35ミリ判と云われるカメラで、このカメラで、人間の視覚に近い写りをするレンズの焦点距離は50mmレンズです。
それが理由で、35ミリ判カメラで、焦点距離50mm付近のレンズを「標準レンズ」と言います。

その、標準レンズよりも少し画角が広いレンズが35mmと言うことににります。

なぜ私が35mmレンズが好きなのか?
そんなことは分かりません。
理屈っぽく言うなら、私の視角は皆さんよりほんの少し広いのかも知れません。
自分が目の前に景色として見えている範囲と、ほぼ同じくらいの画角で撮れるレンズが35mmレンズなのでしょう。

被写体を見つけたとき、先ずは体を動かし撮影の間合いを決めて、大凡この距離と決めてその場所に立ちます。
それから、カメラを構えてファインダーを覗いたときに、自分の望む範囲がきちんとファインダーの中に納まっていることの多いのが35mmレンズなのです。

つまり、焦点距離35mmレンズが、いちばん使い易いレンズなのです。

映画監督の小津安二郎監督は50mmレンズをこよなく愛していたようです。
映画用カメラの場合、50mmレンズは、標準レンズよりも少し焦点距離が長いレンズになります。
ちょっと望遠系のレンズを小津さんが好んでいて、そのレンズへの拘りが「小津調」と言われる表現世界を作り上げていました。

私の場合は小津さんと逆で、標準レンズより少し焦点距離の短いレンズが、収まりの良いレンズなのです。

当然、手元にあるレンズも焦点距離35mmのレンズが一番多いのかと思っていたら、それが違っていて、なんと28mmレンズが多いことに気づきました。
ざっと頭に浮かんだ本数を見てみても、35mmレンズ4本に対して、28mmレンズ6本あります。

フィルムカメラを使っていたある時期、28mmレンズは最も使いにくいレンズでした。
大好きな24mmレンズと35mmレンズの間で、実に中途半端なレンズでした。
その28mmレンズが何故、こんなに集まったのか・・・
それは、フィルムカメラのM型ライカからデジタルカメラのM8系に変わったことが原因でしょう。

フィルムカメラのフィルムサイズに比べ、デジタルカメラの撮像素子のサイズが小さいことから、M8系にレンズを着けるとき焦点距離を1.33倍にしなければならないのです。
例えば21mmレンズの場合だと21×1.33で28mmレンズの画角になる計算です。

28mmレンズだと28×1.33で37mmとなり、私の好きな35mmに近い画角になります。
24mmレンズだと24×1.33で32mmとなります。
ぴったりと35mmに換算できるレンズはありませんが、24mmか、28mmのレンズが35mmに近いレンズと云うことになります。

CP0619-003 大分 sn28a-_1

未使用 CF1105.082 東京都台東区浅草橋 et28a#


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みかん猫67

ときどき、フィルムカメラを使いたくなります。
デジタルカメラに大きな不満があるわけではありません。
むしろ、私の性格から考えると銀塩写真よりデジタル写真の方が合っているとさえ考えます。
ただ、本当に奇麗な調子のプリントを見たときなど、その後で必ずやってくる感情の波が「フィルムは良いな」というものです。

昨今のデジタルカメラやプリンターは大きく性能が向上していますので、こちらの使いこなし次第では銀塩写真に劣らないプリントを作ることができます。
出来ないのはこちらの能力不足と言えるくらい、デジタル環境は整ってきています。
ただ、なんと言ったら良いのでしょうか・・・プリントで写真を見たときに深みと言いましょうか、柔らかみと言いましょうかがデジタル出力をした写真はバライタ印画紙でプリントされた写真に比べ見劣りするように思えます。

いささいか曖昧な言い方であることをお許しください。
デジタル出力プリントは端正で切れ味は鋭いのですが、人を包み込むような優しさに欠けるように思われます。
ただし、これも、出力用紙を吟味してやれば銀塩印画紙に太刀打ちできるのかも知れません。
デジタル環境の発展は目を見張るものがありますから、明日には、デジタルも銀塩バライタ印画紙以上のプリントが作れる・・・なんてことになるかも知れません。

反対に、銀塩写真の環境は徐々に衰退しており、フィルムや印画紙、処理薬品など製品リストから消えていくものが多くなってきました。
銀塩小型カメラの代名詞、「ライカ」もとうとうフィルムカメラを製造止めていることを正式に発表しました。
いよいよフィルムの時代も終息期に入ったと云うことでしょうか。

私はカメラ店に勤める卒業生の協力もあって比較的上手くフィルムカメラからデジタルカメラに切り替えることができた方です。
それでも、まだ手元にフィルムカメラが数台残っています。
こうしたフィルムカメラをどのように活用するか頭を悩ませています。

この前は久しぶりに黒白フィルムを入れて持ち歩いてみましたが、とうとう一度もシャッターを押さないままでした。
デジタルカメラとフィルムカメラの両方を持って出たのがいけなかったようです。
出番はもっぱらデジタルカメラばかりでした。

福岡市東区1
福岡市東区 | CONTAX T2 + Sonnar 38mm F2.8 / T-Max 100 / Microdpl-X 1.3 24℃ 16'00"


沖縄県勝連町
沖縄県勝連町 | LEICA M6 TTL + SUMMICRON-M 35mm F2 ASPH.


今日の二枚の写真を撮ったカメラは二台とも今でも手元に残っているフィルムカメラです。
フィルムで撮って、フィルム現像まではアナログで処理をし、その後はスキャナーでデジタルデータ化して、プリントアウトする方法でフィルムカメラを活用し続けるのが一番現実的なのかも知れませんが、フィルムが無くなってしまったときには、フィルムカメラはディスプレー用とか、文鎮代わりくらいにしか役立たないかも知れません。

ルックスの良さと、重みのあるカメラはフィルムが無くなった後でも使い道はあるかも知れません。
となると、一昔前の巻き上げレバーがあり、金属ボディのカメラですかね。

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みかん猫67

昨日の〔亀カメラ〕では「全ての写真は記念写真である」と、多少、苦し紛れのところもありましたが、強引に落着させました。
出会い、感じ、気持ちが動いた「結果」が写真に写っているだけと考えるのですが、「結果写真」とも言えず、適当な言葉も見当たらず。出会えた記念に・・・と云うことから、「記念写真」と言い切った次第です。

出会いは「人」だけに限ったことでもありません。
きれいな景色、目を見張る瞬間、こころ惹かれるものとの出会いもあるはずです。
そういったものとの出会いも、当然、写真に撮ります。
どちらかと云うと、私の写真は「人」よりも、そちらの「もの」や「光」や「空間」との出会いの「結果」としてのものが多いようです。

私たちに大切なことは「発見」すること「気づく」ことです。
発見するためには見なければなりません。
気づくためには周りに気配りしなければなりません。
そして、感じなければなりません。
その、「見る」能力、とくに詳細に見る「観察」する能力や、「気」を配ったり、気配を察知する能力が、現代人は退化しているように感じます。

今という瞬間は二度と戻ってきませんし、今日と云う日も同様です。
目を皿のようにして周りを見なさいとまでは云わないまでも、パソコンや携帯電話の液晶画面ばかりではなく、少しは自分の周りにも興味を持って注意を払ってみては如何でしょうか。

写真は絵画などとは違い、発見して、感じて、撮ると云う行為までの「間」が極めて短く、瞬間の判断が要求される場合が圧倒的に多いのです。
絵画は発見して、観察して、こころに留めて・・・・と段階を踏みながらことを進めることができますが、写真は発見してから撮影を終えるまで瞬時に行わなければならないのです。
これは極めて身体的行為です。
身体行為を的確にこなすには、繰り返し行い、体に覚え込ます必要があります。
「写真が上手くなるには?」ろ云う問いに、多くの写真家が「沢山撮ること」と答えるのはこのことです。

アンリ・カルティエ・ブレッソン氏は『写真は射撃、絵画は瞑想』と言っています。
でも、写真のなかには、絵画ほどではありませんが、時間が掛けられるものもあります。
発見して観察してじっくりと撮る。

昨日の〔亀カメラ〕で引用した「念」の意味をもう一度引用してみます。

仏語。
㋐ 心の働き。記憶する働き。
㋑ 非常に短い時間。一念。刹那。
㋒ 対象に向かって心を集中し、冥想(めいそう)すること。

㋐と㋑はそのまま写真にあてはめることが出来ますが、㋒の「瞑想」についても、例えば暗室の中での作業や、パソコンでの処理のときなどにじっくりと「瞑想」できるはずです。
また、広い写真の分野の中には撮影の段階から「瞑想」する時間が与えられるものもあります。
「瞑想」により「念」を込める。
大量生産、大量消費で薄っぺらなものがどんどん作られ、捨て去られる時代だからこそ、写真プリント一枚一枚に「念」を込める努力をしてみてもよいのではないでしょうか。

CP0905.049 韓国釜山 sx35a#

未使用CP0901.149 韓国 sx35a#


「念」と「記憶」の「憶」とが一緒になった「憶念」(臆念とも書きます)と云うことばがありました。
意味は「深く思い、絶えず忘れないこと」ですが、しっかり見て(観察して)、その感動を深くこころに刻む・・・その「結果」としての「写真」が今日も撮れると嬉しいのですが、世の中そんなに甘くはないですね。
でも、こころがけ次第では、いつか、何かが飛び込んでくるはずです。

今日の写真は二枚とも韓国の釜山、蔚山の町を歩いていて出会った「もの」たちです。
旅の空の下では感受性も鋭敏になるのですが、日常においてはなかなか・・・

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みかん猫67

写真はすべて記念写真

友人知人との楽しい時間を写したものだけが「記念写真」ではありません。
見ず知らずの人との出会いのなかで撮られた写真も、やはり「記念写真」だと思うのです。
つまり、「あなたと出会えた記念に」なのです。
ずいぶんと昔に『あなたと会えた記念に』と云うタイトルで写真をまとめたことがありますが、私のなかに「写真は記念写真だ」と云う考えが昔からあったことは確かです。

記念写真は私たちにとって最も身近な写真で、記念写真こそ写真の原点ではないかと云うことと、写真はそこに写っている人やものと向き合った記念。
この二つが「写真は記念写真だ」と書いた理由です。
ですから、写真のなかに収まっている人々が全て友人知人でなくても、それは出会い記念に押されたスタンプみたいなもので、「記念」そのものなのです。

ここまで書いたところで、気になることが出てきました。
このようなことはよくあることです。
なんと言っても、行きあたりばったりで書いているものですから、矛盾も多いし間違った考えもあるでしょう。
書いているうちに、自分自身で分からないことが出て来たり、疑問が生じたりしたときには、文章を書きながら、その都度、調べると云った「自転車操業」そのものです。

気になったのは「記念」とは何ぞやと云うことです。
辞書で調べてみると、『思い出となるように残しておくこと。また、そのもの。』

「思い出となるように・・・」
となると少々私の場合違ってくるのです。
あとでその写真見て、思い出を懐かしむために撮るといったこととは、私の場合、少し違うかもしれません。
「記念写真」が思い出となるように残しておくために撮られた写真だとすると、思い出として懐かしむために写真に残しておこうとして撮るわけではありませんので、『写真はすべて記念の写真』とは言えなくなってしまいます。

困った・・

写真は、あくまでそこに居た、出会った、見た・・・その「結果」でしかないのです。
「結果」?
結果とは、「ある原因や行為から生じた、結末や状態」と辞書に書かれていました。
なかなか良いじゃありませんか。
でも「結果写真」なんて聞いたこともありません。

「記念」を調べるときに「記」と「念」に分けても調べてみたところ、「念」のところで面白い意味を見つけました。

仏語。
㋐ 心の働き。記憶する働き。
㋑ 非常に短い時間。一念。刹那。
㋒ 対象に向かって心を集中し、冥想(めいそう)すること。

と、辞書に書かれていました。
なかなか写真的ですね。
写真は「念力」で撮る・・・と、ある高名な写真家が言っていました。
また、別の写真家は、「深い想い」が写真を撮らせる・・・とも言っていました。

私という個人の時間軸と、他の人の時間軸、それに物や、空間がもつ時間軸が交わる一点。
その「刹那」の結果が写真。
なんて、考えると息苦しくなりますし、エエ加減な私らしくもないので、今日のところは『写真はすべて記念写真』とすることで、お許しください。

CP0901.160 韓国蔚山 M8sx35a#

CF0822.060 北九州市門司区清滝 C17-55#

一枚目の写真は韓国の蔚山と云う町で出会った人にお願いをして写真を撮らせてもらいました。
夕方の町を歩いているときに、夕涼みにでも出て来たのでしょうか、家の門口に老立っている老婦人に出会いました。
おそらく、異国でのことでもありますので、この老婦人と再び会うことはないでしょう。

二枚目の写真はよく撮影に出かける、北九州市の門司で出会った猫おばあさんです。
この猫おばあさんとは二度お会いしました。
この写真は最初に出会ったとこのもので、三年後くらいのもう一度、同じ場所でお会いしました。
そのときも、猫と一緒でしたが、少しお歳をとり過ぎておられたので、お話だけをしておばあさんにレンズは向けませんでした。

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みかん猫67

記念の写真は私たちにとって最も身近な写真ではないでしょうか。
作品気取りで作った私の下手くそな写真なんかより、記念写真の方を人々は喜んで見てくれるでしょうし、貰ってくれることでしょう。
だから、記念写真をおざなりにしてはいけません。

持てる表現力を十二分に発揮して撮る・・・こんもことはどのような写真でも同じはずなのです。
ろくでもない記念写真しか撮れない人間に、写真が撮れるはずがありません。
だから、原点である記念写真をしっかり撮りましょう。

な〜んて、堅苦しいことを考えていたのでは、記念写真の女神は逃げて行ってしまうかもしれませんから、先ずは、その場の空気を取り込むことを第一にすべきでしょう。
リラックスして撮る。
それでいて、きちんと撮れている。
そんな、記念写真が撮りたいと思い続けてうん十年。

未だに、テキトーな写真しか撮れていません。
それでも、記念写真が好きですから、機会があるごとに「記念写真撮るよ・・・」と言っては、カメラの前に立つ人たちを当惑させています。

今日の記念写真も大学を訪ねてくれた卒業生たちを撮ったものです。
最初の写真は今年の6月11日に撮ったものです。
吉津くんが訪ねて来てくれましたので、大学院生の植村くんを誘って三人でしゃぶしゃぶを食べながら呑んだ記念写真です。

C0611.003 福岡市東区 M9sn35a#

CB0607.001 D40X#

二枚目は、同じ吉津くんが2008年6月7日に訪ねてきてくれたときのものです。
二枚の写真の間にちょうど二年の月日が流れていることになります。
吉津くんの顔が少々オヤジっぽくなったような・・・

そして、三枚目の写真は梅木くんです。
撮影は今年の3月18日。
撮影位置は二枚目の吉津くんを撮った写真・・・と書くと、吉津くんが男前というようにも理解することができますが、そうではなくて(失礼)・・・とほぼ同じ場所です。

二枚目と三枚目とではやはり約二年の月日が流れていますが、背景は随分と様変わりしてることが見て取れます。
記念写真もこうして見てみるといろいろと懐かしいことが見えて楽しいものです。
やはり、記念写真は素晴らしい。

JC0318.006福岡市東区 K7-21#

今日は、おまけでもう一枚。
四枚目の写真は日髙くんと奥さんと子供さんを2008年6月23日に撮ったものです。
これも二枚目、三枚目の写真と同じ場所です。

CB0623.001 D40X#

二枚目の吉津くんの写真とは僅か半月くらい後になりますが、この間にも背後の様子は変わっています。
そこで、皆さんが知ることは、私が模様替えの好きな男だと云うことですね。
卒業生の皆さんの多くは、学生だった頃、私の突然の模様替え宣言の巻き添えになって、汗を流した記憶が蘇ってきたことでしょう。

それにしても、今日の表題、『記念写真から読み解く研究室の歴史』は、少々大袈裟でしたね。

今年三月に梅木くんを撮った写真からは、研究室の模様は今も変わっていません。
そろそろ模様替え・・・?

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みかん猫67

日々、ブロイグを更新していますが、「私のブログを興味もって見てくれている人がどれくらい居るものやら・・・」とよく思います。
自分自身でも、面白いのやら、面白くないのやら、ためになるのやら、ならないのやら・・・半信半疑で書き続けているのです。
読者からのコメントでも頂くようにしておけば、多少、励みになるのかもしれませんが、気分が滅入るような下らない書き込みをする輩が居るものですから、コメント書き込み欄も設けていません。

ただ、自分で少し感じているのは文章が少々長いのではないかと云うことです。
気楽にササッと読める程度にとどめておくべきだと反省をしながらも、だらだらと長話を続けています。

本日、熊本在住の卒業生、白木くんが奥さん同伴で研究室を訪ねて来てくれました。
そのときにこの〔亀カメラ〕のファンが熊本に居ると云う嬉しい話を聞かせてくれました。
なんでも、白木くんが〔亀カメラ〕のことを、その人に教えたところ、なんと、過去のものを全て読み返すくらい興味を持ってくれたとのことです。
まだ、顔も名前も存じ上げませんが、どうもありがとうございます。
励みになります。

私は記念写真を撮るのが好きです。
学生や卒業生たちと一緒に撮影に出かけたりしたときなどにも、あちらこちらで記念写真を撮りまくります。
カメラの前に立ってくれた人たちは、さぞかし迷惑だったのかも知れません。

記念写真は写真の極めて正しい使い方・・・王道ではないかとさえ思っています。
ただ、残念なことに最近の記念写真は軽薄で面白味に欠けるように思います。
その点、古い記念写真は実に面白い。
まだ、写真が貴重だった頃の記念写真は、そこに緊張感のようなものまで同時に写し込まれていて、見ていて飽きがきません。
写真が堂々としているのです。

そんな、記念写真が撮りたくて、今日も撮りました。
被害者は白木くんと、奥さんです。
奥さんからは、「可愛く撮ってくださいよ」と注文があったのですが、写真ですからね・・・
可愛い人は可愛く、普通の人は普通に、ちょっと・・・の人はそれなりに写りますので、注文通りに写ったかどうかは、ご自身で判断して頂きましょう。

JC0617.010 福岡市東区 K7da40_2.8L

JC0513.002 福岡市東区 K7da21_3.2#

もう1枚も、卒業生の関くんとその家族。
実は奥さんも私のゼミの学生。
新しい家族の記念写真です。

私の撮る記念写真は、昔の人たちが撮った記念写真のように重厚な格調はありませんが、これはこれで楽しいではありませんか。
記念写真は、やはり写真の正しい使い道、その1と云ったところですね。

補足説明|白木夫妻と私が一緒に写った記念写真は〔亀カメラ〕の頁の上にある「album」のところを開いて頂くと出てきます。

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みかん猫67

卒業生の山﨑くんからメールが届きました。
用件の末尾に、『亀カメラで愚痴をこぼすことが増えていませんか?』と書き添えられていました。

そうなんですよね。
どうも愚痴っぽくていけません。
「更年期障害」ですかね?

「更年期障害」って、女性の専売特許ではないようですよ。
症状としては動悸・頭痛・発汗・ホテリ・のぼせ・手足のしびれなど女性と同じようなものが現れるようです。
倦怠感や無気力・不眠・うつなどの全身症状や精神症状のほか、自律神経失調症状も加わるとか。


CP0904.074 韓国釜山 et21a#

「倦怠感」は確かに感じるときがありますが、これは歳の所為でしょう。
「無気力」といった症状は私にはありません。
無気力になってしまったら、学生相手にガミガミ攻撃などできないでしょう。
毎日、ガミガミ学生たちに向かって言い続けているのですから、ある意味「元気ハツラツ」です。
気力充実・・・戦う先生をやっています。

もっと無縁なのは「不眠」ですね。
寝付きの良いのは今も昔も同じです。
バタン・キューです。
「寝るは極楽」。毎晩、超特急で極楽行きです。
目覚めも悪くないですよ。
こりゃ、どうみても更年期障害ではなさそうですね。

CP0901.130 韓国 et21a#

寝ると言えば・・・
このところ、講義中に居眠りをする学生が急増中です。
原因はサッカーのワールドカップでしょう。
寝不足で講義に出て来て、教室で寝る。
人の顔を見ながら「くだらない授業、早く終われ・・・」と言わんばかりに大あくび。
「教師殺すにゃ、刃物は要らぬ。あくびの一つもすればよい」
ワールドカップ期間中は、命がいくらあっても足りません。

眠くても、授業に出て来てくれるのですから、それはそれで努力を認めてやらなければいけません。
なんて、偽善者ぶったもう一人の私が囁くのを聞きながら、今日も頑張って若者と戦い、夜はバタンキュです。

写真家にとて大切なのは「見ること」です。
居眠りなんてしていてはいけません。
携帯電話の画面ばかり見ていてもいけません。
周りをみなさい。
見つけなさい。
感動しなさい。

なんてことを、寝ぼけ眼の学生相手に喋る身にもなってよ・・・山崎くん。

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みかん猫67

昨日の"亀カメラ"で、『バカにつける薬は無い』と失礼なことを書きましたが、そのときに浮かんだことから始めます。

私は大阪出身ですから「あほ」(阿呆)と良く言います。
関西人は「バカ」と言われると少々、カチンとくるものがありますが、「あほ」と言われてもそれほど不愉快なことはありません。
よく聞く話ですが、関東の人は逆に「あほ」と言われると小馬鹿にされたようで、気分を害するようです。

「あほ」と云う短い言葉にも、その発音の違いで、いろいろなニュアンス含んでいます。
関西人はその、かすかなニュアンスの違いを使い分け、嗅ぎ分けてコミュニケーションをしているのです。

例えば「あほ」と断定的に言うのではなくて、「あほやな〜」となるとちょっと可愛さを含んでいます。
私の好きな「あほやな〜」ですが、言葉を正確に文字に置き換えると「あっほやな〜」となります。
「あ」と「ほ」の間に小さな「っ」を入れたのですが、この「っ」は発音するかしないか微妙です。

「あほちゃうか」ともよく言います。
「ちゃうか」ですから疑問の言葉ですが、必ずしも疑問を投げかけている訳でもありません。
「あっほやな〜」と同義で使うこともあります。
しかし、「あほちゃうか」は怒りを含んで使われることも少なくないので、ここの嗅ぎ分けは他国者には難しいらしく、言われて頭にくる人も少なくないと思います。


未使用 CB0306 (145)O西区 sx35a

市川準監督の映画、『大阪物語』をご存知でしょうか?
池脇千鶴さん、それに夫婦漫才師役で沢田研二さんと田中裕子さん・・・誰が主役なのか「分からへん」
この「わからへん」は池脇千鶴さんが中年オヤジにナンパされたときに発する一言・・・おっと、今日は「あほ」の話しでした。
その『大阪物語』で池脇千鶴さんが使う大阪弁がなんとも可愛いのですが、先ほどの「あ」と「ほ」の間に小さな「っ」を入れた「あっほやな〜」を見事に使っています。

私は62年の人生のうち、生まれて高校を卒業するまでの18年間くらいしか大阪で暮らしていません。
その後は現在の福岡で暮らしており、人からは「関西弁が出ませんね」とよく言われるようになりましたが、大阪弁のニアンスを嗅ぎ分ける能力は未だに衰えていないようです。

そんな私でも、話す相手が大阪の人だと、立派に大阪弁に戻っているのです。
大阪で撮影をしていて、相手に話しかけるときなどは、もう、一人前の大阪人に化けています。
そうすることで、撮影がスムーズに行くことも多いのです。

ことばは思考に影響を与えます。
言葉を覚えていく過程で染み付いたものは、未だに私の思考に強い影響力を持っていることは疑いようはありません。
『三つ子の魂、百まで』です。

関西人の泥臭さ、ええ加減さ、浪花節的人情、声の大きさ、ファッションセンス・・・などなど、若い頃には毛嫌いしていたものが、この歳になって愛おしくなっています。

最後に、昨日のフォローです。
『バカにつける薬は無い』と、私の学生を馬鹿呼ばわりしたようになっていますが、実際は皆、可愛い学生たちですから、正しくは、愛情を込めて「あほにつける薬はあらへん」ですよね。
なんと言っても情にもろい関西人を根っこにもっている私ですから、こてこてに可愛がりますよ。

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みかん猫67

まだ、雨が降り続き「梅雨」を実感するといった空模様ではありませんが、季節は動いて梅雨に入りました。
今日のところは大丈夫ですが、週間天気予報を見ると、明日あたりから雨の日が続き、やがて空気中に水分が飽和し、じめじめした嫌な日々が続くことになります。

暗室で写真を作っていたときには、ちょっと油断をするとネガが湿度に負けて、しね〜っと(分かりますかね)して、ガラスネガキャリアを使ったときには、渦巻き模様の「ニュートンリング」に悩まされたものです。


福岡市東区5

遠目に、大きな白い花の咲いた木を見つけました。
さて、この時期にモクレンやコブシでもなかろうに・・・はて、何の花やらと近づいてみると、正体は枇杷の木でした。
ビワの実ひとつひとつに白い袋が掛けられていて、それを遠くから見ると、大きな白い花のように見えたのです。

若い頃の私は植物に興味も無く、当然、その名前なんてチンプンカンプン。
分かるのは、せいぜいチューリップや桜くらいのもの。
「桜くらい・・・」と言っても、分かるのはソメイヨシノくらいで、桜と梅と桃を並べられてどれがどれかと聞かれたら、はなはだ怪しい答えしかできなかったでしょう。

それが、我が家の小さな庭に育つ、はいろいろな植物を見ているうちに、それらの名前も一通り分かるようになりましたし、歩いていて見かけた植物に興味を持ったりすることで、少しずつそれらの名前を覚えてきました。
年の功でしょうか?

いろいろなものに巡り会い、見て、感じて、心が動いて・・・写真を撮って。
そんなことを繰り返しているうちに、いろいろなことを覚え、頭の隅っこに溜ってきたようです。
経験不足の若者であっても心がけ次第で、いろいろなものが見えるでしょうし、それらのひとつひとつを口に煎れ、味わい、咀嚼する。
無自覚に眺めているよりも、格段に世界は広がり、そして深くなり、自分自身の心に響く写真が撮れるようになります。
己のこころに深く食い込む写真。それを目指すことが第一です。
しかし、世の中を上面でしか見ることが出来ない奴らがなんと多いことでしょう。
若い人たちだけではなく、いい歳をした大人も同様です。

若い人は、バカな大人にならないように、『いろいろなものに巡り会い(発見し)、見て、感じて、心が動いて・・・写真を撮って』を、積極的繰り返してください。
つまり、身の回りを真剣に注意深く眺めてください。
発見してください。
そして、写真は撮ることが大事です。
絵のように、心に刻んで、アトリエでゆっくりと時間をかけて・・・なんてことは出来ません。

今日、午前中のゼミナールの授業で、学生たちにそのことを話たのですが、皆さんワールドカップ観戦で睡眠不足のようで、お眠むのようです。
『馬鹿につける薬はない』と昔から言いますが、そう言って放り出す訳にもいきません。
頑張って特効薬を探す・・・それも教師の仕事です。
いまのところは口を酸っぱくして「写真撮りなさい・・・」「己を磨きなさい」「こころの襞を深く刻みなさい」を繰り返すしかありません・・・

それを繰り返しているうちに、自分は「馬」か「鹿」か、学生自身が気づいて、己の道を歩んでくれるようになると、信じています。


JC05.08.004 福岡市東区 GXR33m#

JC0511.002 福岡市博多区 M925zm#

梅雨を前に、布団が干してありました。
厚手の布団を片付けて、軽くて薄い布団に変えるのでしょうか。
若いサラリーマンが川風に吹かれていました。
長く続く雨の季節に耐えるべく、太陽のエネルギーを蓄えているのでようか。


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みかん猫67

昨日の〔亀カメラ〕に載せた「鏡」の写真は、旧黒川小学校の階段の踊り場のところに設置されていたものです。
旧黒川小学校の玄関からシンポジウム会場になる講堂へ案内されるときに見つけました。
打ち合わせが済んで、少し時間があったのでカメラを手にその鏡のところへ引き返してみました。

旧黒川小学校は現在、美術館として使用されていて、この踊り場にも、大きな造形物が置かれています。
作品に対してこういった言い方は失礼なのですが、その造形物が撮影の邪魔になり、自由なアングルで撮ることができませんでした。
鏡の左横の窓を、どの程度画面に取り込むか、踊り場に置かれた造形物が鏡に映り込まないようにするにはとかを考えながら撮ったのが昨日の写真です。
窓からは見える建物が小学校の古い校舎だと、なんとか分かるくらいの量を画面に入れたつもりです。

「鏡」の下のところに『昭和二九年・・・』と云う文字見てとれます。
実は、この『昭和二九年・・・』が気になって写真に撮りました。
一昨日の〔亀カメラ〕で「小津安二郎」さんのことを書きましたが、小津さんの代表作、『東京物語』が制作されたのが昭和28年ですから、この「昭和二九年」を見たときには「惜しい・・・28年だったら」と思いました。

昭和29年。随分と古くからこの鏡はこの場所でいろいろなものを映してきたことになります。
昭和29年は私が7歳と云うことになります。
私が黒川小学校に入学していたら、この鏡は青洟を垂らした私の姿を映していたことになります。
鏡の奥深くに、幼い自分の姿が潜んでいるようで、遠い目線になりました。
実に感慨深いことでした。

実は、昨日の〔亀カメラ〕では鏡の写真の次は、プールを写した写真にしていましたが、今日の〔亀カメラ〕を書く前に紫陽花の花が生けられた手洗い場の写真に変えました。
こちらの方が二枚の写真の相性が良いと判断したからです。
そこで、今日はもう一度、昨日のプールの写真に登場してもらいました。

福岡県朝倉市|旧黒川小学校

JC0612.036 福岡県朝倉市 M9sn28a#

わずか3レーンのプール。
黒川小学校が廃校になって以来使われていないのでしょう。
周りはすっかり雑草に覆われてしまっています。

人間は自然を切り開いて(壊して)、自分たちの都合の良いように変えてきましたが、やがては再び、自然の営みに飲み込まれてしまう。
人のやることの儚さ、自然の穏やかな回復力・・・そんなことを感じながら使われなくなったプールの淵に立ってファインダーを覗いていました。


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みかん猫67

『ピンホール・フォトフェスティバル 2010 in 九州』と云う催しが福岡県朝倉市黒川にある「共星の里」をメイン会場にして6月1日から20日まで開催されています。
期間中、ワークショップやコンサート、展覧会など多彩な催しが企画されています。

「共星の里」は廃校になった旧黒川小学校を利用した美術館を中核にし、地域文化とアートの発信基地として、画家の柳 和暢さんが中心になって活動を続けているところです。
6月12日は『スローライフとピンホール写真』と題したシンポジウムが企画されており、そのパネリストの一人として「共星の里」を訪ねました。

私自身、「写真」を撮りますが、「ピンホール写真」とは無縁の人間です。
そんな人間に何故、声がかかったのか全く分からなくて、出演依頼に見えた実行委員長に訪ねたところ、どうやら「スローライフ」の方で私の名が挙がったようです。

私はスローライフを意識したり、表明したりして日々の暮らしを営んでいる訳でもありませんので、こちらの方も、どうみても適任とは思えませんでしたが、実行委員長の手島雅弘さんと話しているうちに、"のんびり、マイペースで写真をやっている人間"として話をすれば良いと云うことが分かり、自分が最適の人間とは思えないながらも、お引き受けしました。

「スローライフ」
分かったような分からないような、曖昧な知識でしたので、『ウィキペディア』で検索してみましたところ、『スローライフ(Slow Life)とは、生活様式に関する思想の一つで、地産地消や歩行型社会を目指す生活様式を指す。』とあります。

「様式」だとか「思想」だとか言われると、ちょっと後ずさりしたくなってしまうのですが、「歩行型社会」と言う点では、普段から「歩いて写真を撮りなさい」、「自分の歩幅で、周りを見つめなさい」と学生たちに言っている私ですから、まんざら「スローライフ」について語る資格が無いとは言い切れないのかと、一安心しました。

福岡県朝倉市|旧黒川小学校

JC0612.023 福岡県朝倉市 M9sn28a#

「共星の里」へ
車を持たない私ですから、公共交通機関を利用して現地に向かうべく、インターネットで共星の里のホームページから道順を調べたところ、JR久大線「筑後吉井駅」から徒歩2時間10分とあります。

唯一の公共交通機関である「杷木」→「黒川」の路線バスが、3月いっぱいで廃止とななったと、ホームページに載っていましたので、2時間10分歩くか、タクシーを利用するしか無いと云うことになります。

2時間10分歩く・・・私のスローライフ度が試されているような気がしました。
ならばチャレンジと云う気持ちもありましたが、そこはそれ、テキトー人間ですから、助け舟を出してくれそうな人に応援要請をしました。

卒業生で写真仲間、熊本市在住の吉津くんに応援を依頼したところ、快く自家用車で送り迎えしてくれると言ってくれました。
それにしても、熊本の人間をわざわざ呼び出すとは、似非スローライフ人間丸出しです。

福岡県朝倉市|旧黒川小学校講堂

この日のシンポジウム会場には、卒業生の日下部くんも来てくれていましたので、吉津くんと一緒に記念に一枚。

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みかん猫67

小津安二郎さん

デザイン学科の「写真学概論」で、小津安二郎さんをとりあげました。
写真の授業なのに、なんで映画監督の小津安二郎さんなの?
それは、小津さんの映画の中には、私がこれまで授業で教えてきたことが実際に活用されていますので、それを実際の作品を見ながら確かめてみようと云うことなのです。

小津さんの映画は「小津調」と云う独特の方法論やこだわりで貫かれています。
誇張や歪みを嫌ったようで、小津さんの画面には歪みが極めて少ないのです。
たとえば、カメラの位置。
つまり、何処から見るか・・・視点の問題です。
距離(間)、方向(水平)、角度(垂直)など、小津さんの画面づくりを仔細に眺めていくと、そこからは私たち写真を撮る人間にとって参考になることをたくさん発見することができます。

ただし、これは小津安二郎さんの映画を愛する目とこころを持っていないと見えてこないことなのかも知れません。

たとえばアングルの問題。
名作と云われる『東京物語』は昭和28年に製作された映画です。
当時の日本家屋の室内には襖、障子、畳と線が縦横に走っています。
そんななかで撮られたシーンでも、小津さんの画面は端正で落ち着きがあります。

レンスの中心線(光軸)の延長線が被写体に対して直角に交わるようにカメラを上向けたり、下向けたりせず、真正面から撮ることで、室内の柱や、ふすま・障子の垂直線は斜めに歪むことなく垂直に画面のなかで立たせることができます。

とはいえ、私の写真はそのへんが極めて曖昧なのです。
撮影のほとんどは立ち位置、つまり自分の背丈の位置にカメラを構えて撮ります。
当然、下の方にあるものを撮るときにはレンズは下を向きますし、自分の背丈より上にあるものを撮るときにはレンズは上を向きます。
その結果、垂直線どうしの平行間隔は崩れて、とても小津さんの映画のようにはいきません。

その上にもっと困ったことは、水平もいい加減なのです。
複数の垂直線の平行間隔が狂ってくるのはレンズを上向けたり、下向けたりしたときの特徴で、広角レンズ好きの私の場合、特にその傾向は強く出てきます。
しかし、地面に垂直に立っているはずのビルなど、油断すると傾いて、私の写真に写ったビルは「ピサの斜塔」のようです。

JC0202.11 東京都渋谷区区道玄坂 sn35#

反対に、小津さんの画面のように、歪み無く撮ろうとすることもあります。
そのときは、はっきりと「歪み無く」を意識しながら撮ることになります。

未使用 CP0824.084 山口県周防大島町 sn28a


さきほど、「困ったことに」と書きましたが、実際のところはなにも困ってはいないのですが・・・私にはその方が心地よいのですから仕方ありません。
とは言っても、斜めにして撮ってやろうなんて思惑があってのことでもありません。
とにかく、フレームの中を眺めて、構図を決めて(感覚的に)シャッターを押しで出来た写真を見てみると「ピサの斜塔」になっているのです。

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みかん猫67

卒業生たち

JC0609.005 福岡市東区 M9sn35a#

私のゼミの卒業生、田村くんが研究室を訪ねて来てくれました。
卒業後は大分県の日田にある写真館で長く修行をしていたのですが、このたび故郷の岡山に戻ることになったとわざわざ挨拶に来てくれたのです。
田村くんが学生時代、はたして私は彼にとって良い教師であたかどうか、はなはだ疑問ですが、そんな私に対しても律儀なことです。
有り難いことです。
故郷に戻った後は、お父さんと一緒に写真の仕事に精を出すそうです。
写真の仕事もなかなか先行きのはっきりしない時代ですが、親子で力を合わせて切り抜けて行って欲しいものです。

田村くんが訪ねて来てくれたのは昨日のことですが、以下のお話は全て今日一日のことです。

卒業生の榊くんからメールが届きました。
私がトレードマークのように使い続けきた青色のショルダーバックが駄目になり、その後、なかなかしっくりとくるバックが見つからないと、この〔亀カメラ〕でも書きましたが、そのバックについての情報提供でした。
Porterの「吉田カバン」から分かれたPorter Classicと云う会社の鞄が素敵だそうです。
ショップは東京と、なぜか福岡だけにしか無いそうなので、いちど機会があれば覗いて見ようと思っています。

卒業生の鳥谷さんから手紙が届きました。
東京新宿のゴールデン街で行った彼女の個展の会場写真が同封されていました。
卒業後は上京し、ブライダルの写真家として頑張っている彼女が仕事を離れて撮りためた写真を発表する機会を得たことは大変嬉しいことです。
噂によると、この個展はなかなか好評だったとのこと、ここで、一度、リセットして新たな気分で写真を撮り続けてくれることを願っています。

JC0131.100 東京都新宿区歌舞伎町 sn35#

三時間目の授業が終わったときに、女子学生の平山さんが近づいて来て、「おじさんが、学生時代先生のゼミだったと言ってました」と伝えてくれました。
「名前は?」と聞いてみると、「久野です」とのこと。
「久野くんか〜」
久野くんにはゼミの後輩の就職にも尽力してもらったり、学生時代も明るくて元気な男で強く印象に残る卒業生です。
彼が転勤で福岡を離れて以来、久しぶりに聞く名前でした。
久野くん、もしこの〔亀カメラ〕を読んでいてくれたら、「あなたの姪御さんは、私の授業でパソコン操作に不慣れな学生たちに教える手伝いをしてもらったりして、元気にやっていますよ。」「機会があったら大学に顔を出してください。」

会議が終わって研究室に戻ってくると、電話が鳴り続けていました。
受話器を上げると、卒業生の吉津くんからの電話でした。
実は、吉津くんにはずいぶん迷惑なお願いをしており、その打ち合わせの電話でした。
シンポジウムのパネリストの要請があり、たまたま日程的に大丈夫だったのでお引き受けしたのですが、その開催場所が、車を持たない私がとても行けそうも無いところでした。
インターネットで調べて驚きです。
最寄りのJR駅は久大線の筑後吉井駅で、そこから徒歩で2時間10分・・・冗談でしょ。
弱り果てた私が頼ったのが吉津くんと云う次第です。
仕事のやりくりが大変だったと思うのですが、快く引き受けてくれて大助かりです。

夜になり、やはり卒業生の公門さんからメールがありました。
〔亀カメラ〕で愚痴を書いたことに反応してくれて、慰めの言葉を送ってくれました。
疲れるとマイナス思考の言葉ばかり出てくるので、さっさと寝て元気を取り戻せとの激励でしたが、今は23時28分・・・ご忠告を聞かずにまだ、ごそごそしております。
気分転換に撮影に行きましょうと、お誘いも頂きました。
有り難いことです。

本日最後になるでしょうが、23時05分着でメールが届きました。
これは、卒業生ではありません。
現在、私のゼミに居る四年生の西くんのお父さんからのメールでした。
公門さん同様、昨日の〔亀カメラ〕に対して、励ましの言葉が綴られていました。
ここにも『体が弱ると、必ず思考も弱ります。先ずはお身体を御自愛ください。』と書かれていました。

みなさん、いろいろとありがとうございます。

実は本日、自分が極めて小さな存在であると、少し自己嫌悪に陥っていました。
写真を皆さんに見て頂くことや、ブログも止めてしまおうかと悩んでいましたが、こうして今日も日課の〔亀カメラ〕書き終えることが出来ました。
これも皆さんの励ましの賜物だと感謝・感謝です。

そうそう、大切なことを書き忘れていました。
本日の〔亀カメラ〕にも登場しました、榊くんと鳥谷さんがこの秋、挙式すると鳥谷さんの手紙に書かれていました。
良いな〜。若い人は。

追記
今日の猫の写真は、鳥谷さんの個展が開かれたゴールデン街を徘徊していた猫です。


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みかん猫67

例年この時期になると、「早期退職を希望する人は・・・」と云う通知が職場の人事部からメールで届きます。
このメールを見たとき、私のこころは違った二つの方向に動きをします。

私の場合、定年まであと四年弱ですから、すでに定年退職に向けてカウントダウンが始まっている身です。
ですから、今更と云うか、あと少しだからこのまま頑張ると云うか、そんな気持ちでその通知を見ている自分が居る一方で、「辞めても良いかな」と云う気持ちもムズムズうごめいています。
興味本位で早期退職した場合の退職加算金の上積みパーセントなどを見てみたりします。
ただし、試みに退職金の計算をしてみるというほどの積極性はありません。
ただ、こころのどこかに、仕事を辞めたいと云う気持ちが潜んでいることはたしかです。

辞めたくなる要因は二つあると考えられます。
一つは「忙し過ぎる」と云うことです。
大学の先生なんて、ビジネス社会に生きる我々の苦労に比べると、ままごと遊びのようなもの・・・と思って居られる方々も少なくないと思います。

しかし、大学が浮世離れしていたのは一昔しも二昔しも前の話です。
今の大学はビジネス社会の原理・原則がまかり通っています。
のんびりと自分の研究なんて、私学の教員の多くは夢のまた夢です。

来る日も、来る日も授業と学生の面倒を見ることに追われ、それ以外にもやれ企画書だ、報告書だと書類書きに翻弄されているのが現状です。

私の場合一週間に10の授業クラスを担当します。
時間計算にすると、90分の授業が15回です。
授業をするには、それなりの準備が必要ですから、単純に見積もって一週間に50時間ほど授業だけに費やしていることになります。
一週間に6日働くとして、一日の労働時間は8時間少々になります。
ならば、あたりまえの労働時間ではないのかと思うでしょうが、大学はそんなに甘いものではありません。

先ほども触れたように、父兄懇談会、地区別修学懇談会、高校等に出向いて授業、受験生確保のための高校訪問、オープンキャンパスなどなど、多彩な行事が目白押しで、それらに駆り出されます。
それ以外にも会議・会議・・・

なかなか先生も大変なのです。

おっと、一番大事なことを忘れていました。
私の居る芸術学部のようなところでは、授業時間だけが学生と接触する場ではないのです。
授業以外の時間帯にも学生は指導を求めてやってきます。

いやいや、お疲れです。
早期退職に心が動く気持ちも分かって頂けたでしょうか。

早期退職にこころが動く理由は二つと申しましたが、もう一つは、少々深刻です。

鳩山さんが「国民は聞く耳をもたなくなった」と言って辞任をしました。
この言い方もマスコミであれこれと叩かれているようですが、気持ちは分かります。

鳩山さんの言葉を借りるなら「学生は聞く耳を持たなくなった」と云うことです。
授業をしても昔のように反応がありません。
そんな学生たちを相手に授業をしていても、疲れや苦労を払拭してくれるような、湧き上がる喜びを味わうことが出来ません。

必死にノートを取りながら授業を聴いてくれる学生もめっきり少なくなりました。
教師が、「学生がノートをとらなくなった・・・」と嘆くと、学生は「授業内容をプリントして配るべきだ」などと授業評価などで切り返してきます。
ならばと、配布資料を作る・・・また、仕事が増える・・・授業が終わったあとの教室に配った資料が捨てられていたときには、「なんのこっちゃ」などと呟いてしまします。

恵まれた時代に育った若者たち・・・
いやいや、彼ら彼女らこそ、大人の金儲けのために繰り出す各種誘惑の餌食になり、ばかな政治のおかげで、将来に希望が持てない恵まれない世代なのかも知れません。
そんな若者たちに、なんとか、気力を湧かせてやろうとやってはいるのですが、なかなか功を奏しません。
やればやるほど、学生から毛嫌いされるようで、虚しさだけが灰汁のようにこころの隅に沈殿していきます。
そんな疲れを感じたときに、もうそろそろ自由な時間を過ごしたいな・・・などと考えてしまうのです。


JC0529.006 福岡市東区 M9et28_2.8#

JC0529.013 福岡市東区 M9et28#

同じ日に二つの矢印を見ました。
一つ目は、葬儀社の通用門のドアに貼られていました。
矢印の意味は分かりません。
天国は上ですよ・・・だと愉快なのですが。
二つ目は大学の中で見ました。
講習会場への道順を示す矢印です。
今の世の中、上昇なんて考えることが無茶なのかも知れません。現状維持の横移動であれば御の字でしょう。
二枚の矢印の写真を並べて、そんなことを考えました。

私も、現状維持で「早期退職」の夢を見るだけにしておきます。


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みかん猫67

長く愛用していた水色のショルダーバックがぼろぼろになって、新しいバックに変えたことは、この〔亀カメラ〕でもお話をしました。
実際のところは、新しいバックに変えようとしていると言った方が良いのかも知れません。
未だにバック選びに四苦八苦しています。

あれこれとバックを変えて持ち歩いてみましたが、大き過ぎたり、小さ過ぎたりで、なかなかしっくりとくるバックが見つかっていません。
長く使い込んできたバックの感触は体が覚えています。
それの代わり、抵抗無く体に添うようなバックなんてそう容易く見つかるはずはありません。
ジグソーパするの1ピースのように、まったく同じでなければピッタリと嵌らないのです。

ジグソーパズルの最後のピースについて、以前、別のところで書いた記憶があります。
私が、歩いていて何か気になるものを目にしたとき、それを写真に撮る、撮らないはどうして決まるのかということについて、ジグソーパズルのピースを持ち出したのです。
心のなか、頭のなかのなかにはいろんな形、大きさの、穴が開いていて、その穴を通ることが出来るかどうかで、撮る、撮らないが決まるといった内容です。

目の前のものが、穴とぴったり同じ大きさ、形であったとき、そして、それがジグソーパズルの最後の1ピースだたときには心躍るくらい興奮してシャッターを押すことでしょう。
形は似ているがサイズが少し小さい場合は、穴を通すことができますが、穴より大きなものは通すことが出来ません。
多くの場合、このパターンで写真を撮っています。

だからですかね。私の写真がいつも「小味」なのは・・・
でも、小味は大味よりは良いとするのが私の嗜好でもありますが・・・

心や頭のなかの穴の形や大きさは時々刻々変わっているかも知れません。
今日はやたらと丸い形のものが気になったり、次の日は三角だったり。
その変化とうまく付き合うことで、いろんな写真が撮れるのでしょう。

話をバックに戻します。
今まで持ち歩いていたものを全て引き継いで受け入れてくれるバックとなると、同じくらいの大きさが必要ですが、現在、手持ちにバックを全て使ってみましたが、ほんの少し大きかったり、なたはごく僅か小さかったりで納得出来ませんでした。

カメラ一台が入る小さなバックを斜め掛けにして、手提げのバックにこまごまとしたものを入れて持ち歩いてもみましたが、やはり両手はフリーにしておかないといけません。
手が鞄でふさがっていると、咄嗟の時の撮影に遅れをとる・・・確かにそれもあるでしょうが、事態はもっと深刻です。

写真を撮る気持ちそのものが萎縮してしまうのです。
ちょっとした被写体に出会っても、手が塞がっていると、「ま、良いか・・・」とやり過ごしてしまうことが多くなるのです。
これは、私の写真がいい加減だからかも知れません。
崇高で純粋な写真を志す方々にはこんなことはあり得ないかも知れませんが、私は手が塞がっていると云うだけで、「パス」(素通り)してしまうことが多いと反省しております。

これも私の写真が「小味」で、それで良しとする私が居るからでしょうね。

CP1026.003 福岡市 博多区 st35#

JC0322.007 熊本市 GXR 33-2.5m

写真をどんどん撮るためにも、良いバックを早く見つけなければなりません。
現在のところは、とにかく両手をフリーにするために、小さなバックにカメラと予備のバッテリーやメモリーカード、それに携帯電話と露眼鏡を入れて斜め掛けにして、その他のものはリュックサックに納めて持ち歩くようになりました。


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みかん猫67

今朝も猫に布団から引っ張り出されました。
猫も生き物ですから腹が減るようで、空腹を我慢出来ない日には、早朝の四時過ぎくらいから「腹減った〜〜」と叫び始めます。

仕方がないので、起き出して軽く食事を与えて、また布団に転がって本を読んでいると、今度は寝転んで本を読んでいる私の体の上で猫も一休みです。
そろそろ猫が上に乗ってくると暑く感じる季節になってきました。

猫にもいろんな性格や体質があるようです。
我が家に一匹、わがまま猫が居ます。
自分の要求が通るまでまとわりついて鳴き続けます。
人間にもそう云うのが居ます。

その猫は、朝いちばんの食事の後、結構な確率で食べた餌を戻します。
朝のせわしない時間に、吐かれると後始末など面倒なのでついついイライラして叱りとばしてしまいますが、一息ついたときには可哀想なことをしたと反省させられます。
病院に連れて行っても打つ手は無く、それがこの猫の体質なのだから仕方がないのです。

私の朝食は紅茶のパンです。
わがまま猫は洋食系です。
パンにバターを塗ったものが大好きで、私が朝食を摂りはじめると横に来て、はやく自分にもバターをたっぷり塗ったパンを食わせろとミャーミャー鳴き始めます。

「ちょっと待ちなさい。ものには順序と云うものがあります。」
と猫に言い聞かせるのですが、いくら言っても『馬の耳に念仏』ならぬ「猫の耳に念仏」で聞き届けてくれません。

よく吐く体質、食べ物の好みは和食より洋食系。
しつこい性格。
細い体。奇麗な目。
マイペース。
彼女の特徴です。
私たち人間一人一人にも、こういった嗜好の違いや体質、性格の違いがあります。
それらをきちんと受容し、己の生き方・・・私たちの場合は写真に反映させていけば、個性的な生き方や写真がそこから生まれるはずなのですが、なかなかそれが難しい。

「ものには順序」で鳩山さんの顔が頭を過りました。
新しい総理が決まり、組閣のニュースがテレビ画面から流れてきますが、鳩山前総理の胸中は如何なものでしょうか?

民主党のやり方を指示しているわけではありません。
くだらない茶番劇や、財布の底に穴があいているのに、お金をばらまくような政策を不愉快に思っているのですが、もう少し鳩山さんの手腕を見届けてあげたかったと云う気持ちもあります。

鳩山さんは「根回し」が足りなかったように思います。
日本の社会、もちろん政治の世界も「根回し」が結構重要ではないでしょうか。
その根回しをしないまま、思ったことをすぐに口にしてしまう・・・それが恵まれた家庭で世間知らずに育った鳩山さんの性格や体質をなのです。
そして、それが鳩山さんの墓穴を掘ったのです。

「ものには順序と云うものがありますよ」と育ちの良い鳩山さんに、育ちの悪い私が教えてあげたいくらいです。
我が家のわがまま猫を諭すように。

しかし、鳩山さんは案外、強情で短気な性格なのかもしれません。
聞く耳を持たないのは国民だけではなくて、鳩山さんだって聞く耳を持っていないかも知れません。
私も短気な人間ですから、「根回し」なるものがまどろっこしくて、思いついたら突っ走ってしまう性格ですからなんとなく分かるような気がするのですが。

「馬の耳に念仏」「猫の耳に念仏」そして、「鳩の耳に念仏」
「耳を持たない」なんてことはないと思うのですが、鳩の耳ってどの辺にあるのでしょうかね。

JC05.08.006 福岡市東区 GXR33m#

JC0131.019 東京都新宿区百人町 sn35#

今日の写真は「一人ぽっちの鳩」と、鳩に「子供手当」を配っているおじいさん? です。

新宿の町を早朝に歩いていて、公園で鳩に餌を与えている男性に出会いました。
男は、仕事が生き甲斐ようにして暮らしてきましたから、仕事が無くなると妙にうすら寂しい影が差します。
声をかけるとその場の空気が壊れてしまいます。
会釈で撮影の許可を打診して、男性が拒否の姿勢を示さなかったので撮らせてもらいました。
出来るだけ私の存在を消して、ゆっくりと撮影位置を変えながらこの瞬間を待ちました。


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みかん猫67

休日ですが、所用があって外に出ました。
11時近くの時間、太陽は頭上でカンカンと輝いています。
玄関を出て歩き出してすぐに、日差しが痛いと感じました。
太陽に一番近い頭のてっぺんが無防備(はげ頭)な私ですからヒリヒリきます。

しかし、私にとって、この感覚は妙に心地良いものです。
七月末に生まれた、いわゆる夏仔(なつご)だからか太陽が大好き。
日向に居るのが心地良いのです。

しかし、さすがに最近は少し様子が変わってきました。
日差しの強い日の撮影で、長丁場を歩いているときなど、無意識に日陰を歩いている自分に気づくこともあります。

今年は例年に比べ、季節の移り変わりが妙です。
季節外れの寒い日が続いて、洗濯屋に出そうと思っていた春先の衣類を再び引っ張り出して着たり、ここにきて梅雨の入りも遅れてるようです。

それでも、季節は確実に夏に向かっているようなので、暇をみては衣装の入れ替えをやっています。
そんなときに、ちょっと気になるのが昨年まで着ていたものが、今年も体に合うかどうかです。
この歳になると、流行とか似合う似合わないとかよりも着心地本意です。

洋服のサイズは一年経ったからといって大きくなったり小さくなったりはしません。
すべて、己の身体が膨らんだり縮んだりするから、だぶだぶになったり、窮屈になったりして着心地が悪くなるのです。
今年は、少々ウエストが膨らんだように思いますから、春の健康診断で〔メタボ〕と診断されないようにお腹を引き締める運動を続けたことで、どうにか昨年までの夏ズボンが今年も着られそうです。

膨らむお腹とは裏腹に、上半身はどうやら縮んでいるようです。
ワイシャツの首回りや袖丈など些細なことを気にする悪い性格ですから、左右で長さの違う腕に合わせるためにシャツは誂えることが多いのです。
誂えてシャツはそのときどきの体型に合わせていますから、体型が変わると着心地が悪くなります。

どうも最近首回りがちょっとゆるくなってきたようです。
ネクタイをすると苦しく感じて着なくなったシャツを、今年、試しに来てみると、これがピッタリ。
上半身は若い元気溌剌な若い頃に戻った・・・なんてぬか喜びはしていません。
ちゃんと分かっていますよ。
人はこれを"衰え"と云うことくらい。

腹は緩み、上半身は衰え、ちょっと古い言い方になりますが、着実に『老人力』を身につけてきていることを感じさせられた今年の衣装替えでした。

JC04.17.032 福岡県田川市後藤寺 GXR 33m#

CG1015.017 東京都千代田区岩本町 R5924

今日の写真は理想の体型を形にしたマネキンです。
崩れた己の体型をお見せできませんので・・・

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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#

土曜日は大学の授業はありません。
普段なら、撮影に出かけたり、一週間の間に雑然となった研究室を片付けたりして一日を過ごします。
一週間に10の授業を担当しますので、それらの授業の準備のためにあちらこちらから資料を引っ張り出したりします。
それを、授業が終わる毎にきちんと片付けておけば、こんなに研究室が乱雑になることはないと分かってはいるのですが、それが出来ない。

おそらく片付け上手の人は一つ出しては一つ片付け、片付けた後に、また新たなものを出すとしているのでしょうが、それが私にはなかなか出来ない相談です。
いつもしかめっ面をして、杓子定規な事を言っているので、さぞかし奇麗好きな性格だと想像されるのですが、本性は・・・

いや、本性は案外奇麗好きなのかもしれません。
一週間の終わりに、ひっくり返った部屋を奇麗に片付けようとするのですから。
小さなところで面倒くさがりで、だらしのない側面が顔を覗かせ、その性格が、日々の片付けをさぼろうとするのでしょう。

今日は、高校生相手の「写真技術講習会」の担当です。
昼間をその仕事がありますから、部屋の片付けはいつものようには出来ませんので、朝早くから大学に出て掃除・片付けをしました。
ほらね、このあたりが『本性は案外奇麗好き』だと言うところです。
部屋の奥の方までは片付けられませんでしたが、人目に触れるところだけがなんとか奇麗になりました。

写真技術講習会はデジタル部門と銀塩部門を開設していますが、本日は全員銀塩黒白写真の技術講習を受けます。
参加人数は50名少々。
本来は福岡県の高文連行事ですが、熊本、長崎など近隣の高校の参加もあります。
本日は熊本県から10数名が大挙して参加してくれています。

今の高校生の写真は9割以上がデジタル写真です。
そんなご時勢に、「なんで今更、暗室?」と思わないではないのですが、技術講習会となると、暗室作業がまだまだ6割くらい居ます。
高校の部活動自体はデジタル出力が多くなり、脱暗室なのでしょうが、設備の整った大学で暗室体験をさせておこうと云う顧問の先生の方針もあるのかもしれません。

講習会の最後に、本日作った写真を各自一枚提出してもらい講評をします。
この講評も本日の私の仕事です。
本日の参加者は概ね良い調子のプリントを作ってしました。
遠路、熊本から参加してくれた学校の顧問の先生は「大学の暗室で焼くと、奇麗に調子がでるのだけれど、高校の暗室で焼くとなかなか調子が出ないのだけれど・・・」と話し手おられましたが、
大学に対する敬意もあってのお言葉だとは思いますが、もし、その言葉が本当なら、その原因はこうではないかと考えます。

今日の講習では指導者があれこれと調子を整えるための助言をしてくれます。
つまり、調子を出すためにコントラスト調子フィルターの番号の選定から、覆い焼、焼き込みの指示など、事細かく指示を出してくれます。
その、指示に応じて作業をすることは出来ても、自らどうすれば良くなるのかと云う判断が出来ないのではないかと思うのです。

同じような状況は大学においてもあります。
『指示待ち』と云うことが、若者についてよく言われますが、まさにそれではないかと考えるのです。
自ら考え判断を下すことを積極的にやらない若者が多いように思います。

最後に総評を求められたときに、私は『まだまだです。もっと頑張ってください。』と答えました。
お世辞でも「皆さんよく頑張って、良い写真がたくさんできました・・・」と云うべきところを、大人げない言い方をしたのかもしれません。
「指示に応じて的確に作業が出来るのだから、この次はもっと頑張って、自ら、どうすればプリントがもっと良くなるのか判断できるようになってください。」

ドアボーイがドアを開けてくれなくても、自らドアノブに手を掛け、ドアを開けてください。
ドアボーイはいつも居てくれるとは限りませんので。

JC0514.077 福岡市東区 M9cb21_4.5#

CP1109.083 山口県下関市 sx35a#

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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#

先週の金曜日の〔亀カメラ〕で授業のお話をしました。
そのときのタイトルは「お散歩カメラ」でした。
なんとなく軽いタイトルですが講義の内容としては、カメラにもいろいろの種類があって、それぞれ特徴があり、得意とする撮影分野が異なる。
そのことをよく知った上で、それぞれの目的に応じたカメラを選びましょうと云うこのです。
二年生の授業なのであまり大上段に振りかぶった姿勢で話したのでは、学生の思考回路に蓋をしてしまいかねないので、授業もできるだけ柔らかく話している次第です。

今日も金曜日。
先週と同じ授業科目ですので、当然、話は続きます。
今日は撮影課題についての話をしました。
テーマは「散歩のなかで見つけたもの」です。
つまり、確たる目的を持って撮影に臨むのではなく、日常のフィールドのなかで眼にするものを撮らせます。

昨今の学生諸君は目は携帯電話の画面に釘付け。
耳はヘッドフォンステレオから流れる音楽に奪われ、外海からの刺激を遮断してしまっていますから、見えない、聞こえない。
感受性を閉鎖した状態です。
これじゃ、写真など撮れるはずがありません。

そんな学生諸君に、もっと身の回りを見つめてもらうことと、特別なものでなくても写真に撮れることを分かってもらうための課題です。
提出する写真は三枚。
その三枚が共通したまとまりを持っていること。

その、第一段階としては、撮影する被写体を同じものにすることから始めます。
抽象的な説明を学生たちにしても、なかなかこちらの意図を的確に掴んでもらうのが難しいので、実際の写真を見てもらいながら説明をしました。

作例の写真はすべて私の写真です。
「散歩」とくれば「犬の散歩」です。
私が撮った写真の中から犬を連れて散歩をしている人たちを撮った写真を10枚ほど。
それと、犬を撮った写真を10枚ほど見てもらいました。

JC04.17.067 福岡県田川市後藤寺 M9 2428a#

CB1004.065 北九州市若松区 HX35#

私自身は犬の散歩を意識的に撮っている訳ではありませんので、写真は支離滅裂です。
犬を連れて散歩している人をスナップした写真もあれべ、きちんと人や犬と正対して撮ったものなどなんでも学生たちに見てもらいました。
被写体との間はいろいろ。シャッターを切る瞬間もバラバラ。
それらの写真のなかから共通点を捉まえ、切り口を揃えることで、一つの世界をきっちりと表現できることを分かってもらうための授業設定です。

その後は、初心者コースとして、「アロエ」「バス停」「椅子」「洗濯もの」「ガムテープ」「鏡」「黒猫プレート」(ビー玉が目にはめ込まれたやつ)など「物」を中心として撮るものを具体的見せました。
全て私が普段何気なく撮っているものたちです。

こういう撮影を通じて、自分たちの身の回りを観察する習慣をつけて、出来れば一人でも二人でも、これからも写真を続けてくれることを願っているのですが、果たしてその成果やいかに・・・


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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#

大学の教員が高校に出かけて行って授業をすることを一般的に「出前授業」と言います。
この「出前授業」と云う言い方は個人的にはあまり好きではありません。
いずれにしても「出前授業」とは簡便な言い方の一つで、「出張講義」と云うのが正しい言い方だと思います。
どこのどなたが「出張講義」を「出前授業」言い始めたのかは知りませんが、そこには一種の軽薄な行為といった意味合いも含んでいるような気がして、あまり好きになれないのかも知れません。

確かに、大学の教員が高校まで出かけるにはそれなりの理由があります。
「出張講義」は受験生確保のためのPR戦略の一つです。
平たく言えば、大学の魅力をセールスするために出かけるようなものです。
その、セールスマンが私のような強面で頑固そうなおやじでは逆効果ではないかと、いつも、恐る恐る出かけるのですが、はたしてどうなんでしょうかね。

そんなご機嫌伺いのような「出張講義」。
出来れば願い下げにしたいとこですが、これも仕事の一つですから、やるからには真剣です。
相手方に出かけて授業をする。
高校生相手に授業をする。
たとえそのようなことであっても、精一杯の授業をしているつもりです。

先日の「出張講義」も、十分な下準備と、教材つくりをして出かけました。
私は車を持ちませんので、パソコンや液晶プロジェクターなどの荷物を持って出かけるだけでも大変です。
そんな苦労を「出前一丁」・・・(おっと、これは即席ラーメンのことでした)などと揶揄されるのはあまり良い気分ではありません。
「出前」だから、「岡持ち」に入れて出かけるのか・・・って茶化さないでくださいよ。

CP0901.088 韓国 sx35a#

先日、伺った山口県立小野田高校で、案内されて廊下を歩いていると「写真部」と書かれたドアがありました。
案内の先生に「写真部があるのですね」と話しかけると「三年生ばかりで、あまり活動していません」とつれないお答え。

写真部のドアの少し先に「1」のドアがありました。
そのときは、案内して下さっている先生の手前がありますので、「チャンスがあれば撮る・・・」と素通りしました。
打ち合わせ会場に入ったのは、私が一番乗りで、少し時間がありましたので、トイレにでも行くような素振りで、「1」のドアのところまで戻り、何枚か撮影しました。
これが本日2カット目の撮影です。

JC0601.008 山口県小野田市 県立小野田高校 M9et28#

結局、小野田で撮った写真で、〔亀カメラ〕に載せられそうなものは3枚。
授業で疲れ、撮れた写真も三枚ぽっち。
『骨折り損のくたびれ儲け』
いやいや、それで上等。
そんなものですよ。

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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#

昨日は仕事を抱えて小野田に出かけてきました。
仕事自体は気の重いことですが、知らないところに出かけたり、普段の生活の場を離れることは好きです。
これまで一度も足を踏み入れたことのない「小野田」と云う町を歩き写真を撮ることを楽しみに出かけて来たのですが、昨日の〔亀カメラ〕でも触れたように、写真は思うように撮れませんでした。

写真が撮れなかったのは「小野田」と云う町が魅力のない町だったということではありません。
原因はすべて私の側にありいます。
仕事の道具を引きずって歩くこと。
撮影に適した軽快な服装ではなかったこと。
これから始まる仕事のこと。
時間が気になること。
そんな、諸々のことが気持ちに蓋をしてしまったのです。

確かに、同じような状況下でも、面白いように写真が撮れる町、そんな日もあります。
小野田の町はセメントで有名な町ですが、そのセメントに塗り固められたような無愛想な町であったことは確かですが、だからと言って写真が撮れないはずはありません。

コンクリートを打ち砕くような眼力があればよかったのですが、軟弱な私の精神では、この日の小野田の町の中に入り込むことは出来ませんでした。

県立小野田高等学校の学生さんたちは、実に気持ち良く授業をさせてくれましたし、JR小野田駅の駅員さんも気持ちの良い対応をしてくれました。
そんな人たちが居る小野田と云う町に、写真に撮るべきものが無いとはとても思えません。
ダグラス・マッカーサーではありませんが、『 I shall return 』です。

小野田から無事、博多駅に戻り、鹿児島本線に乗り換えたときの話です。
私の周りに小汚い若者たち5〜6人が乗り込んでいました。
その彼らが、喋る喋る。
しかもその内容は実に空虚。
「お前たちには沈思黙考と云う行いがないのか・・・」と腹のなかでつぶやきながら、早く列車を降りてくれないかと願っていました。

韓国蔚山

その話のなかに、やたら「神」を連発する男の子が居ました。
「○○は凄い。あいつは神や」といった調子です。
神は○○だけではなく、△△も□□もと次から次へと出てきます。

それを聞いていて、「神の大安売りやな」
「神も随分と軽くなって、紙みたいやな」などと、またまた腹の中で呟いているうちに、私が降りる駅に到着。
結局、私の方が先に降りる始末でした。

山口県周防大島町

人間は亡くなると神に近い存在になるのでしょうか?
多くの方々はそうかも知れませんが、我が家のご先祖は風来坊のようなものですから、「神」ではなくて、風の舞う「紙」のように、あの世でもふらふらしていることでしょう。
お盆には、「神」にはなれそうにない、我が家のご先祖もひらひらと舞い戻って来てくれることでしょう。
「神」と「紙」がここでめでたく繋がりました。

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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#


計画倒れの一日。

今日は山口県の小野田まで出かけてきました。
仕事です。
いわゆる、「出前授業」と云うやつです。
私のように人相の悪い奴がのこのこ出かけて行ったのでは、大学のイメージダウンになってしまうのではないかとお断りしたいところなのですが、生憎と火曜日に暇そうにしているのは私くらいしか居なかったようです。

授業は2時55分から90分間で、この話を引き受けるときには、朝から小野田入りして、あわよくば写真の二三枚も手に入れて・・・などと「取らぬ狸の皮算用」を楽しんでいたのですが、現実はそんなに計画通りに行くものではありませんでした。

2年生の学生が午前中暗室を使って、私の授業の課題写真を引伸しをしたいと言ってきましたので、無下に断るわけにも行かず、午前中は大学に出ていました。
それでも、集合の時間よりも一時間くらい前に小野田に到着しましたので、この時間を利用して撮影・・・と考え、コインロッカーか荷物預かり所を探したのですが、ローカル線の小さな駅にはそのようなものありません。

仕方なく、液晶プリジェクターとパソコンの入ったトランクケースを引きずりながら歩き始めたのですが、そんなものを引っ張っていたのではとても写真を撮る気分にはなれません。
駅前の広場の縁を一周して再び元の位置。

こうなったら、少し早いのですが小野田高校行くしか手は無さそうです。
大学からはJRの駅から高校までタクシーを利用しても構わない旨の連絡を受けていたのですが、時間の余裕もあることだし、高校まで歩くことにしました。
高校までの道すがらに、何かあればと期待をするしかありません。

ローカル線の小さな駅から伸びる道。
行き交う人も無く、蒸し暑い空気だけが私を包みます。
跨線橋の上り坂をえっちらおっちら。
まだ、カメラは斜め掛けされた小さなポーチに収まったまま。

跨線橋の頂上付近で線路を歩く工夫を発見。
防御ネットの編み目にレンズを押し込んで撮影。
大した写真は撮れない事は承知でしたが、小野田まで来て、一度もシャッターを押さないで帰るなんてことはとにかく避ける・・・そのための一枚です。

JC0601.005 山口県小野田市 M9et28#

写真も一枚撮って、無事、高校に到着。
やはり、私が一番乗りでした。

私の講義室は「地学室」。
パソコンとプロジェクターをセットして準備完了の後に、部屋の様子を拝見。
教室の後ろの陳列棚に、「地学室」らしく、鉱石の標本が置かれていましたので、失礼して撮影。

JC0601.011 山口県小野田市 県立小野田高校 M9et28#

おとなしい学生たちを相手に無事90分の授業を勤め上げて、いざ、博多へ・・・
帰りには夕日の町を撮影・・・なんて考えていたのですが、昼飯を食べ損ねているので空腹なのと、荷物を引きずって歩くことの煩わしさを考えて挫折。計画倒れの一日でした。

小野田駅に着いたときに、喉が渇いたので自動販売機で飲み物でも買おうとして 500円玉を投入したのですが、旧500円玉だったので受け付けてもらえず、何度かチャレンジしてみたけれど、いつもチャリンと返却口に500円玉が吐き出されてきます。
この段階から、どうやら小野田と私の相性は微妙だったのでしょうね。

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