2017年6月アーカイブ
熊本県阿蘇郡高森町 LEICA M-P × SUMMARON-M 28mm F5.6
街頭で何かを配布していた。
しかし私にはくれなかった。
どうやらフィッオネスクラブの宣伝チラシであった。
配布している人が「爺さんには無用」と判断したのだろう。
このところ、運動不足を自覚しているので、フィットネスクラブで汗を流すのも良いかもしれない。
しかし、「金払うてまで、運動せなあかんのかいな・・・」と、大阪人根性が問いかけてくる。
「歩けばエエやんか・・・金もかからんし・・・歩いたら写真も撮れるで・・・」と追い討ち。
「ほんま、そうやな」と私の大阪人魂が応える。
走るのはしんどいし・・写真も撮れへん。
写真を撮るには歩くに限る。
多少メタボを気にしながら、今日もてくてく歩く。
熊本県阿蘇郡産山村 LEICA M-P × SUMMARON-M 28mm F5.6
写真を撮るとき、〝雲〟の扱いに苦労する。
いや、どだい雲を扱おうなんてことは出来ない相談。
雲は私のような凡夫の思惑など無視するかのように気ままに漂う。
こちらは、頃合いを見計らってシャッターを押すだけ。
雲任せである。
雲が邪魔をして思い通りの写真が撮れないことは常である。
稀なことだけれど、雲に助けられることもある。
青空を背景に一片の白い雲があるだけで、思わぬ効果を生む。
しかし、その雲が浮かんでいる位置が問題だ。
どこでも良いという訳ではない。
最良の場所というものがある。
草原に一本の道。
どういうことかは分からないが、一部分だけセメント舗装で白くなっているのに興味を覚えた。
幸い雲も道に沿う形で奥行きを演出してくれていた。
牛の目が好きだと言う人がいた。
黒々とした丸い目。
なんとなく分かるような気がする。
でも、牛の目を怖いと言う人もいた。
奥の見えない深い穴ぐらのような黒い目。
不気味な気もする。
そんな牛の目に似た目をウサギも持っている。
牛の目や、ウサギの目は無表情で、
どことなく物悲しいさを湛えているように私には見える。
大分県竹田市 LEICA M-P × SUMMARON-M 28mm F5.6
本物より作りものの方に深く興味を惹かれることがある。
随分と昔のことだが、作りもののある景色を写真に撮ることを考えたことがある。
〝模景〟とタイトルまで決めていたが実現しなかった。
カラスなどの鳥害避けなのだろう、鷹が舞っていた。
紐で繋がれた作りもので、
風が吹くと鷹は勢い良く舞い上がり、風がなくなるとだらしなく垂れ下がる。
その動きを見極めながらチャンスを待つ。
鳥の形(角度)。
背景との位置関係。
全体のフレーミング等々、考えなければならないことは多い。
しかし、いくらこちらが待ち望んでも、風は気まぐれ、なかなかツボに嵌ってはくれない。
でも、この場所でしばらく楽しませて貰った。
熊本県阿蘇郡高森町吉見 LEICA M-P × SUMMARON-M 28mm F5.6
廃校になり手入れが行き届かなくなった学校。
枯葉の積もった校舎の裏の方を歩いていてこの壁を見つけた。
そこには有明海、金峰山、熊本市、白川、小山(?)、そして阿蘇山と、熊本県の地形が塀に描かれていた。
山間の小学校。
おそらく過疎で子供の数も減り廃校に至ったのだろう。
しかし、この絵が描かれたころは、校庭をたくさんの子供たちが走り回っていたことだろう。
マグマが赤く描かれた阿蘇山。
その部分を、マグマに倣うかのように植物は這い上っている。
少し離れて見ると、画面左の木と合わせて不思議な遠近感を見せている。
熊本県阿蘇郡高森町吉見 Sony A7S × APO SUMMICRON-M 50mm F2 ASPH.
木の床に散らばったチョーク。
廃校になった古い校舎の教室。
チュークと言うより〝白墨〟と言った方が似合う。
手作りの木箱から短くなった白墨がたくさん転がり出て散らばっていた。
この一本一本が最後にどんな文字を黒板に記したのか・・
そんな他愛もないことに思いを馳せながた構図を決めた。
私も教室に向かう時に持って行った鞄の中にチョーク箱を入れていた。
白、赤、青そして黄色のチョーク。
折れたり、短くなったものは教室に置いてきていたので、いつも真新しいものが入っていた。
床に散らばった白墨の中に黄色が見当たらない。
何故だろうか?
熊本県阿蘇郡高森町吉見 LEICA M-P × SUMMARON-M 28mm F5.6
この写真を見て、おそらく多くの人が〝音楽室〟だとすぐに分かる。
いまの音楽室にも、大作曲家といわれる人たちの肖像画が飾られているかどうかはわからないが、
少なくとも私くらいの年代の人間には見慣れた肖像画だ。
小学校のときの音楽の授業のことはあまり記憶にない。
唱歌とリコーダーの演奏のテストがあったのは覚えている。
唱歌のテストで〝浜辺の歌〟を歌ったとき、褒められたのを思い出す。
壁に並んだ肖像画は、おそらく、ヘンデル、モーツアルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームス、そして我が国代表が宮城道雄さん。
いまなら、冨田勲さんもここに並んでいるかも知れない。
それにしても、ベートーヴェンは、いつも苦虫を噛み潰したような怖い顔をしている。
彼は笑うことがあったのだろうか?
自分の曲で癒されることがあったのだろうか?
福岡市東区 LEICA M8.2 × Biogon ZM 35mm F2 ZM
できるだけ歩くようにしている。
その理由は・・・
若いときには写真を撮るため。
いまは運動不足解消。
身体が老いていくことは避けられないが、ここにきてちょっと悪あがきをしていることもある。
万歩計を持ち歩くようになった。
目標歩数の一万歩だが、写真を撮りに動き回ることも以前に比べると少なくなったので、目標をクリアするのは難しくなっている。
散歩に出たら〝回り道〟や〝寄り道〟をする。
のらりくらり歩いていると、面白いものに出会え、うまくいけば写真も撮れる。
それに、歩数を稼げる。
小学校のとき、担任の先生がよく「寄り道をしないで帰りましょう」と言っていた。
しかし、私の家から小学校までは直線で歩いて2〜3分。
寄り道のしようが無かった。
小学校の正門を出て、左に歩き出せばすぐに家に着いてしまう。
小学校のときに「寄り道」という禁断の行為を行えなかったことが、寄り道大好きな人間を作り上げたのだろうか。
世の中には訳のわからないことや、ものが沢山ある。
その一つが〝モンドセレクション〟というやつ。
最高金賞だとか、金賞とか言われても、何が何だか分からない。
ただ、「金賞受賞」を謳い文句に宣伝し、売上を伸ばそうとする下心は見え見え。
それともう一つ。
〝世界遺産〟。
国連機関のユネスコが取り仕切っているのだが、
国の政治力や、国と国との力関係があったりして、政治利用されている節もある。
いま、福岡県の宗像・沖ノ島で盛り上がっているけれど、
世界遺産の理念は立派で、何ら異を唱えるつもりはない。
しかし、世界遺産に認定されて喜ぶ裏には、
観光による経済効果を期待して大よろこびしているように思えてならない。
この点においてモンドセレクションも世界遺産もともに胡散臭いと、年寄りは思うのだが。
福岡県宗像市|宗像大社 Olympus E-P5 × M Zuiko Digital 17mm F1.8
お賽銭の回収にきた巫女さん。
世界遺産に登録されると、観光客も増え、お賽銭も増えるのだろうな・・へそ曲がり者のつぶやき。
日本のバスはどうしてこんなに窮屈なのか。
今日はバスの運転手側の一番前の席に座ったが、
座席の足元が狭くて、靴を真っ直ぐに出来なくて、逆ハの字にして固まっていた。
街から我が家まで、バスで30分ほどだけれど、
窮屈な状態で座っていたから、まるで飛行機のエコノミー症候群のような症状に襲われる。
特に、年寄りは筋肉がすぐに固まり、いちど固まった筋肉はなかなかほぐれないので厄介である。
バスを降りる時には用心しないと転げ落ちるかも知れない。
用心用心。
Oahu Hawaii OLYMPUS E-P3 × DG SUMMILUX 25mm F1.4 ASPH.
上の写真はハワイの〝The BUS〟。
オアフ島を一周するルートもあり、長時間乗り続けることが多かったが、
日本のバスのような不満を感じることもなく、
バスの小旅行は運賃も安く、いつも快適だった。
福岡市東区 Sony A7S M2 × Sonnar FE 55mm F1.8 ZA
去年の今頃、家の屋根や壁の工事をした。
その時に、ここに住み始めて以来の生垣を取り払い塀に変えた。
歳をとると、生垣や庭の手入れもなかなか大変だと言うのがその理由。
大した樹木はないのだけれど、その折に庭木を植え替えた。
紫陽花も植え替えたので、
初めての梅雨を迎えたことになる。
今年は花を見るのは諦めていたのだけれど、小ぶりの花を咲かせてくれた。
生垣にしていた木も一株だけ新しい場所に移して残した。
それにも小さな蕾を見つけたので、
程なく白い小さな花を咲かせることだろう。
庭の草木にはそれぞれに思い出のようなものがあるので、
枯らさないように可愛がってやる。
こんな心持ちにさせるのも歳の所為か。
Chinatown Honolulu Oahu Hawaii LEICA M8 × ELMARIT-M 24mm F2.8 ASPH.
枕元には読みかけの本や雑誌を積み上げる。
どうせ横になったらすぐに眠りに落ちるのだから、せいぜい一二冊用意すれば十分なのだけれど、積み上げることが習慣になっている。
私の父親も同じことをやっていたので、その影響なのだろう。
なかにはかなり長い期間に渡り枕元に置かれる本もある。
面白くなかったり、小難しかったり・・そんな本がまず第一。
第二に、面白い本。
長い時間をかけて読みたい・・・と言った方が正しい。
面白過ぎて、一気に読み終えてしまうのが惜しいのだ。
現在も枕元にそんな本が一冊ある。
好物の美味しいものを、少しずつ楽しみながら食べるように、毎日、布団に寝転がり、先ずはその本を手に取り少し読む。
そして、次の本に移るといった状態。
そうしているうちに眠りに落ち、
いい夢を見られる・・はず。
福岡市中央区 Canon EOS Kiss N × EF 24mm F1.4 L
傘の手放せ無い季節。
現代人にとって、季節に関わらす手放せ無いのが携帯端末。
膝に名刺ファイルを置いて、仕事先にで電話しているらしいサラリーマンを撮影。
適当にプレッシャーをかけ、振り向いたところでシャッターを押す。
私の常套手段。
1978年(昭和53年)に福岡市は大渇水に見舞われた。
今日では写真教育の現場もデジタル主流だから、渇水で給水制限をされて困ることもないのだろうけれど。
しかし、大渇水当時の写真はフィルムと印画紙、それに暗室に水が必要な時代で、当時担当していた授業は大量に水を使う黒白銀塩写真の授業で、たちまち干上がってしまった。
インスタントフィルムを多用しての、撮影実習でなんとか切り抜けた記憶がある。
あれから約40年経過。
福岡が大渇水に見舞われた頃、私は30歳くらい。
まだまだ元気盛りだったが、それから40年近く経って、私の体のため池も渇きかけている。
梅雨の雨を吸収して、干からびた心身に潤いが補給できると良いのだけれど。
銀次郎 & 茶太郎 / SONY A7s M2 × LEICA SUMMARON-M 28mm F5.6
2010年10月
子猫の状態で拾われてきた兄弟猫
現在
年齢は7歳ほど
そこそこいい歳なのに
いまだに子猫のようにべったり
兄弟のために
同じ寝ぐらを2個並べて置いてあるのに
一つに押し競押し饅頭状態で入って寝る
この時期だから寒いわけではない
むしろ
こうして寝ると暑いだろうに
猫を人間に置き換えたとして
ええ歳をしたおっさん二人が
べったりと引っ付いて寝ている図は
なんか臭ってきそうで
見たくもないけど
ねこだから
まあ良しとする
JF C607 T15 M08
#寝て起きて
#亀カメラ
#ねこと暮らす
大阪市生野区 LEICA M8.2 × SUMMILUX-M 35mm F1.4 ASPHERICAL
ねこに頼まれて・・
と、いう訳でもないのだけれど、飼い主の義務として、ねこ様のごはんを買い出しに。
ねこも三匹いると、食の好みもそれぞれ。
年齢も考慮しながらの買い物は骨が折れる。
次いでの人間様の昼ごはんを買いに別のスーパーへ。
各種弁当が並んだ棚の前で、あれこれ迷ったあげく、カツ丼に手を伸ばしかけたところに、
青年がやってきて、なんの迷いもなく、さっと〝夏野菜カレー〟を手にしてレジへ。
その、あまりの鮮やかな買いっぷりに魅了されて、
カツ丼に伸びた手は、〝夏野菜カレー〟を掴んでいた。
躊躇なく買う人がいるということは、きっと〝夏野菜カレー〟は美味いはず・・と考えたのだが。
福岡市博多区住吉 OLYMPUS Pen-F × M ZUIKO Digital 17mm F1.8
窓に貼られた、おそらくニューヨークと思われる都市のポスター。
適度な老け加減が気に入って、これまでも何度か写真に撮ってきた。
しかし、今日の主役はポスターではなく、真っ赤なバラ。
ポスターにばかり気を取られていたから、
そして、花の咲く時期に、ここに来ていなかったからか、
これまで、ここにバラの木が植えられていたことすら気づいていなかった。
植物のことはよく分からないのだけれど、そのバラの花が、まるで造花のような咲き方をしているのが面白くて撮ってみた。
普段は面白がって撮っていた窓もポスターも、今日はバラの鮮やかさに気圧されて、色褪せて見えた。