2021年5月アーカイブ
福岡県糟屋郡新宮町 / LEICA M10-P × Summilux 35mm F1.4
我が家の近くにも
高齢者が増えました
しばらく顔を見ないなと思ったら
「亡くなりました」ということも
とは言っても
もちろん元気なお年寄りも沢山います
朝夕の涼しい時間帯に
散歩している高齢者を見ていると
男性は単独で
一方
女性は連れ立ってというのが多い
男性の場合は
老いに抵抗するといった
悲壮感が漂っていているけれど
女性は他愛もない話しをしながら
歩くことを愉しんでいます
どうやら
女性の方が生き上手のようです
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ZJ C5 30 1701 004
写真が撮れた日
切り通し
二人の声が
風に散る
福岡市東区和白東 / LEICA M10-P × Summilux 35mm F1.4
坂道を降ってきたので
足取りが軽い
すたこら調子に乗って歩いているときに
??と胸騒ぎ
目の隅で何かを感知したようなのですが
後退り・・と言うにはちょっと距離がある
引き返すのは面倒と
普段の無精者だったら
口癖の「まっ ええか」と呟くところだけれど
この時は
珍しく引き返してみた
??の信号を発信していたのは
ガラス越しの花
ガラスと花との距離が開いていると
花がボケてしまうのだけれど
ガラスに接するように置かれた花は
私の頭の中同様
程よいボケ具合
「日々草の仲間かな?」と思ったけれど
惚けた頭ではよく分からない
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ZJ C5 27 1558 002
写真が撮れた日
坂道を
降りし先の
日日草
福岡県糟屋郡新宮町原上 / LEICA M10-P × SUMMARON-M 28mm F5.6
柳田國男著〝妖怪談義〟を買いました。
訳のわからないものばかりが気になって
写真に撮ってみると
〝妖怪〟のように見えてくる
ならば
妖怪とは何ぞやと
手にした本が〝妖怪談義〟というわけ
〝妖怪談義〟に河童が登場します
そんなものを読んでいるので
河童に誘われたのか
山道の途中で小さな淵を見つけました
小さな水草が水面を覆いっています
河童は姿形を自在に変えることができるらしく
小さな水溜まりのようなところにも
何千何万と生息している
このような所を通ると
河童が「角力を取ろう」と現れる
河童が人に勝てば大喜び
負ければ次から次へと河童が挑んできて
人間は疲労困憊
悪くすれば気が狂ったり
命を落とすと言い伝えられている
しかし
河童も
爺いと相撲をとっても面白くないと思ったのか
「角力を取ろうよ」と姿を見せるなかったので
無事に家に帰り着けました
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ZJ C5 24 1625 015
写真が撮れた日
緑の手
ぬっと突き出る
河童淵
福岡県糟屋郡新宮町原上 / LEICA M10-P × SUMMARON-M 28mm F5.6
いいね
空が
雨が苦手だけれど
雨あがりはいいね
散歩から帰り
一風呂浴びて
さっぱりしたところで
独酌
今日は蕎麦猪口のような洒落たものではなく
かみさんが生前使っていた湯飲み茶碗に
冷や酒を注いで呑む
いわゆる茶碗酒
寂しげな絵柄の湯呑み茶碗を
手の中でくるくる回しているときに
「そうか」と合点した
私が使うようになって10年
湯飲み茶碗に
この位置から・・という
視点があることにはじめて気づいた
なんと間抜けなことか
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ZJ C5 24 1532 002
写真が撮れた日
雨上がり
手の中で転がす
独酌の茶碗
福岡県糟屋郡新宮町原上 / FUJI X-E4 × FUJUNON XF 50mm F2 R WR
山に向かう散歩道ですから
往きは上り坂
復りは下り坂
童歌の「行きはよいよい帰りはこわい」
の逆で
往きはこわくて
復りはよいよい
復りはよいよいじゃなくて
よれよれだよと言われるかも知れないけれど
下りの道ですから
自然に前に進めます
気楽に
のんびりと歩いていると
往きには見えなかったものにも
気づくことがあります
右手は田んぼと蜜柑畑
左手は雑木林
この道は
ちょっとしたものが転がっていて
なかなか面白い
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ZJ C5 19 1241 010
写真が撮れた日
初夏の落ち葉
そのなかにも
色いろいろ
茶太郎 / FUJI X-E4 × FUJUNON XF 50mm F2 R WR
北側の窓を開けると
涼しい風が入ってきます
蒸し暑いこの時期には
我が家で一番居心地の良い場所です
居心地の良い場所が何処かは
猫を見れば分かります
でも
なかなか場所は譲ってくれません
腹が減ったり
喉が渇いたり
トイレに行きたくなったりして
ねこが動いた隙に
横取りしても
用を済ませて戻ってきたねこは
高体温 重体重の体で跳び乗ってきて
「退きなさい」と圧力をかけてきます
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ZJ C5 19 1220 003
写真が撮れた日
猫がいる
その場所こそが
この家の別天地
福岡市東区和白東 / LEICA M10P × SUMMICRON-M 28mm F2ASPH.
目の隅に何かが引っ掛かりました
立ち止まって
その〝何か?〟を確認
風に乗って飛んだきた雨粒が
ぽつんと
我が禿頭に落ちたような
微かな刺激の原因は
駐車場の地面に書かれた数字でした
数字の〝1〟は左側が頭
しかし
数字の〝2〟は右側が頭に見えたのです
1と2とでは天地が逆のように見えたのが〝?〟だったかと
合点して再び歩き始めたけれど
引き返して
写真に撮ってみた
もちろん
「こんなものを写真に撮って何になるのか・・」と
小馬鹿にする自分が腹の中に居たのですが
「まあ まあ まあ・・」と仲裁に入る自分も居て
「とりあえず撮っておくか」ということになりました
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ZJ C5 17 1604 001
写真が撮れた日
好きな数字
昔は1で
少し前までは2だったから
次は3かな
福岡市東区和白東 / FUJI X-E4 × FUJINON XF 27mm F2.8 R WR.
いつ見ても何か妙
そして面白いと思う
ことに雨に濡れた日には
写真に撮りたくなることが多い
しかし
これが写真にならない
つまり
写真に撮っても
面白味が写真に乗り移ってくれない
何度も何度も
撮影と落胆を繰り返している
何が面白いのか?
撮っているのは
コンクリートブロックでできた石垣
曾て
白くペイントされていたのが
色が落ちたり
汚れたりで
筆跡のようなものが見える
なんだか
田舎舞台の書割のようだ
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ZJ C5 15 1549 003
写真が撮れた日
時が積もり
時が削り
面白くなる
福岡市東区和白東 / LEICA M10-P × NICTILUX-M 50mm F1.2 ASPH.
♪ 丘の上 ひなげしの花で〜 と
アグネス・チャンさんの
ちょっと甲高い声が蘇る
夏目漱石の〝虞美人草〟も
ちらっと頭を過るが
ここは
なんといっても
♪ 丘の上 ひなげしの花で〜 だ
ここは丘の上ではないし
花びらで
心を占う相手もいないが
殆んどは咲き終わって芥子坊主になっているが
オレンジ色の花が数輪残っていた
遅れてきた芥子の花だ
江戸時代のこどもの髪型に
〝芥子坊主〟というのがあったそうだ
頭のてっぺんだけに毛を残し
あとは丸刈りというやつ
現代の若者のなかにも芥子坊主スタイルを見掛けるが
頭頂禿げの我が身には出来ない髪型だ
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ZJ C5 12 1800 015
写真が撮れた日
ポピー ひなげし 虞美人草
花の頃には綺麗でも
盛り過ぎれば芥子坊主
福岡県糟屋郡新宮町中央駅前 / LEICA M10-P × NIKKOR S.Auto 50mm F1.4
老いると時間を持て余すことが多くなる
残された時間が少ないのだから
時間を無駄にしてはいけないのだろうけれど
ぼーっとしていることが多くなった
特に雨の日
音楽を聴きながら
本でも読むかと
本を手に
リクライニングの椅子を倒し
読み始めたはいいが
やがて
目が活字から離れる
音楽に聞き入るとか
考え事をしているのかといったことでもない
ただ
ぼーっとしている
そのうち
睡魔に負けて
床に本が滑り落ちる
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ZJ C5 05 1657 005
写真が撮れた日
雨の日は
ページをめくる指先に
紙が優しい
福岡市東区 / LEICA M10-P × Canon L 28mm F2.8
我が家の辺りは上り下の坂道が多い
坂道を下って行くと
地形的に底と思われるところに
池がある
散歩や買い物に出かけたときに側を通る池
見慣れているので
特に思いを込めて眺めることは少ないけれど
まれに
足が釘付けになることがある
そういったときは
だいたい
光の加護があってのこと
昼間の光が息を潜めはじめる頃
薄い墨が空気に混じり
しんみりとした池の
緑と黄色の色彩がなんとも・・・
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ZJ C5 03 1806 022
写真が撮れた日
夜の幕が降り始めた
ちょうど良い
今が
福岡市東区 / LEICA M10-P × Canon L 28mm F2.8
何? と
自分でも理由が分からずに
写真に撮っていることがある
まあ
他の人から見れば
何を撮っているのやら? と
思われていることは承知なのだけれど
自分の頭の中に〝?〟ランプが灯ると
写真を見て考え込んでしまう
散歩も最終盤
もうすぐ家に着くといったところで
一枚撮った
被写体らしいものは
赤いパイロンくらいのもの
でも
それを
なぜ
写真に撮ったか・・
このときの〝光〟だろうか
あとは
言い訳っぽい話になるので内緒
まあ
どうでも良い
そこそこ気に入っている
私としては
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ZJ C5 03 1804 020
写真が撮れた日
理屈はない
目の前の何かに
こころが動いたから
福岡県糟屋郡新宮町 / LEICA M10-P × Canon L 28mm F2.8
「すべての道はローマに通ず」
この言葉の深い内容はひとまず置いておき
ただ
単純に「すべての道は我が家に通ず」という気持ちで
ぶらぶら歩きをしている
たまに
行き止まりということもあるけれど
寄り道
回り道
近道と自由きまま
特に疲れを感じていたわけではないが
何かに誘われたかのように
ひょいと近道になる角を曲がった
そこで撮ったのがこの写真
「そうか こいつが こっちに来いと 俺を呼んだのか」と
勝手なことを言いながら
相変わらず
「だからなんなの」と言いたくなるような写真だけれど
これも〝縁〟なのですから
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ZJ C5 03 1747 016
写真が撮れた日
農作業小屋に
夕日が集う
一日の仕舞い
福岡県糟屋郡新宮町 / LEICA M10-P × Canon L 28mm F2.8
前回は〝竹林〟
竹林とくれば
次は当然〝杉並木〟
「なにが当然なんや・・」と
突っ込みが入りそうだけれど
当然
気まぐれ性分だから
根拠なんてものはない
〝竹林〟のなかの道を見ているとき
池波正太郎さんの著作『剣客商売』の主人公
〝秋山小兵衛〟が現れそうな景色だなと感じた
時代劇の流れで
当然〝竹林〟の次は
〝杉並木〟となったという次第
突然
悪漢が襲いかかってきて
チャンチャンバラバラが始まってもおかしくない環境
場所は
竹林も杉並木も
我が家の近くに残る 旧〝唐津街道〟
前々回の〝白詰草〟の道も唐津街道で撮ったもの
草鞋に三度笠姿の人たちが往来する時代に
タイムスリップ
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ZJ C5 03 1747 016
写真が撮れた日
杉並木が
途絶えた先に
萌える緑
福岡県糟屋郡新宮町 / LEICA M10-P × Canon L 28mm F2.8
〝雨後の筍〟とはよく言ったもの
にょきにょきと
あちらにもこちらにも
とんがり頭を突き出している
こういった所には
「筍掘り禁止」の立て札があるものだけれど
そんな無粋な立て札は見かけない
だからといって
筍を土産にする気もない
料理下手の私に
筍料理は荷が重い
味覚は置いといて
その他の四感で竹の林を楽しむことにする
竹林は
心地よく光が揺れ
緑が目に優しい
風の音も良い
時折
竹のしなる音がする
耳をすまし
背筋を伸ばし
深呼吸をして湿った土の匂いを吸い込むと
足の裏に柔らかな土の感触が伝わってくる
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ZJ C5 03 1740 015
写真が撮れた日
竹の
姿勢を見ていると
私の背筋も伸びる
福岡県糟屋郡新宮町原上 / LEICA M10-P × Canon L 28mm F2.8 (ISO 200|f4.8 1/1500s)
引き続き野球の話し
月見草
野球に興味のない人は
「なぜ 月見草と野球?」と思うかもしれないが
野球好きの人は「あ〜 あれね」と合点しただろう
月見草といえば
野村克也さん
私は子供の頃
パリーグでのご贔屓球団は〝南海ホークス〟
セリーグでは〝国鉄スワローズ〟(現在のヤクルトスワローズ)だった
どちらも野村克也さんとは
縁の深い球団
「王や長嶋は向日葵
それに比べれば
私なんかは日本海の海辺に咲く月見草だ」は
野村克也さんのことば
ということで
月見草と野球が繋がった
畑を囲うネットを
野球のバックネットに見立てて
月見草(野村克也さん)をその前にフレーミングしてみた
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ZJ C5 03 1710 005
写真が撮れた日
太陽に
顔を向けてる
月見草